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お久しぶりでございます。デザインと並行で文章を書く仕事を進めているため、頭の体操もかねて久しぶりに筆をとってみました。あくまで私の個人観測の感想であり全体論を語るものでもないので、個人の戯言として聞き流してもらえればと思います(前言い訳)


■貧困の見える化
ネットというのはここ数年で「貧者のメディア」と言われるようになりました。昔はネット接続に対する金銭的ハードルが高かったために、割と金銭的にある程度余裕のある人や、学生などがメインの場だったのですね。ところが昨今のスマホ普及により国民がほぼネットに接続できるような状態に。

これにより、それまでネットで可視化されてこなかった、低所得の人々の声が見えるようになりました。テレビや新聞等でも、メディアに携わる彼らが見たい「庶民像」しか見えてなかったので、この可視化というのは非常に文化的に重要な変化だと思って見ております。これにより日本の深刻な「真実の貧困」がようやく見えてまいりました。


■100円を使うことに躊躇するのが現代の貧困?
さてこれは前置きだったのですが。最近みたTogetterのまとめで、個人的に気になる価値観があったので、少し自分の感覚との照らし合わせをしてみたいと思いました。それがこちら。

【若者の貧困化】お金持ちになりたい訳ではなく、ただ50円や100円のコーヒーを買うのに躊躇する生活を辞めたい…という話

さてリンク記事のタイトルが全てなのですが、要約すると細やかな、ささやかな消費にすら躊躇する生活が本当の貧困であるという声にたくさんの共感が集まっているような内容でした。


■お金に向き合い続ける日々の中で考える事
私としてもこの痛ましい発信は大変共感できることでもありましたから、フンフンと読み進めていたわけでありましたが、同時に私も自分で日々お金の事を考えながら会社を運営する立場になり、会社員の頃とはやはり少しお金への向き合い方に変化がありまして。


■組織や個人は、そもそもなぜ貧困化するのか
貧乏になる個人・組織と、そうでない個人・組織(お金で大成功するという意味とは別)とは何が違うのだろうと思い、この3年間程を過ごしていました。これは過去の自分を否定することになるし、反省にもなるし自戒にもなるわけではあるのですが…。

それで割と単純明瞭な解だと思ったのがこの「いかに無駄遣いをしているか否か」にかかてくるのだと結論付いた次第です。

何が無駄遣いかというと、お金を使う際に「5分後我慢すれば・1時間後にもう一度考えてみたら・1日寝かせてみたら」というような「一時保留したら案外どうでも良かった出費」というもの。

■いつの間にか植え付けられている「当たり前」のハードル
これらのお金の使い方って「もんのすごく贅沢なお金の使い方」なんですけど、これが贅沢の極みではなく「それくらいは当たり前にできるくらいがちょうどいい」という謎の消費思考を皆いつの間にか植え付けられているのに気づいてないわけです。

なのにそれを出来ないことを嘆いたり、少し手元にお金が入ったら「とんでもない贅沢」にさも当然のように手を伸ばしてしまう。いや仕方ないのです。

■「消費しろ」
ディストピア映画で有名なゼイリブという作品の中で、主人公はあるきっかけに特殊なサングラスを手にするのですが、それを使って周辺にあるテレビや広告を見てみたらそこには「消費しろ」という等の本来のメッセージが見えるという演出がありました。映画ではこれは人間社会に溶け込むエイリアンの仕業だったわけですが。

さてはて、いったいいつから私達は「50円、100円程度のコーヒーを飲むことに躊躇しないくらいになりたい」ということを「当たり前の日常として手にしたいもの」、と感じるようになってしまったのか。

■貧困なのは誰のせい?
私の見てきた常にお金に困っている個人・組織は共通してやはりこの「無意識に無駄なお金を使わされていることに気づいていないし、些細な無駄遣いすら出来ないことを不幸だと思い込んでいる」という価値観です。


■消費思考に呑まれない貧困ではない人たち
そして対象的なのですが、お金がしっかりしている、貧困にあえいでいない集団・個人はそのへんが分かっていて、そうした無駄にこそものすごく躊躇して慎重にお金を使います。

本当にこのコーヒーに100円を払う価値があるのか?あと30分で家に着いて、一袋単価15円のドリップコーヒーでも入れれば30分の我慢で同じ喉を潤しカフェインを摂取するにしても相対的に85円の節約ができるのではないか。そもそも喉を潤すなら水で十分ではないか。

逆に自分が何にお金を払いたいのかがわかっているから、使うべきところにはドカっとお金を入れる。普段から無駄遣いしているグループは、このドカっとしたお金が必要な時に手持ちがないから、その体験をそもそも出来ないか、高い金利へと走ってしまう。


■その消費思考は誰が得する価値観か
お金を巻き上げる側は非常に狡猾に「庶民感覚」というのを作り出し、消費をうながし、その利潤で利益を得続けています。そして集団結束させることで用意に「庶民感覚」から抜け出せないようにもしています。そうやって賢く、うまく、こっそりと、上手に生き抜いています。

■世界の投資家は倹約家
余談ですが世界的投資家のウォーレンバフエットさんですが、買収した企業が成功している話はたくさん出てくるのですが、その企業の役員の報酬はなぜか開示されません。なぜなんでしょうね。

■資本家に騙されず、お金をいかに徹底的につかわないか
と、言う感じでオチとしては、バブルを経験したからこそなのかずーーーーーっと昔から変わらない風土の問題なのか。国家全体がチョロチョロと無駄金を使うことを当たり前にのようにしてしまっているから私達の国ってどんどん貧困に向かってるんじゃないかなーと思ったりするのでした。お金持ちになる一番簡単な方法はたくさん稼ぐことでも、ものすごく仕事ができるようになることでもなく「徹底的にお金を使わないこと」コレに尽きるわけでございます。逆を言えば稼ぐには「いかにチョロチョロとお金を使わせる甘い誘惑を用意できるか」になるわけです。

「50円、100円程度を躊躇なく使える幸せ」という資本家の嘘を当たり前と思わないようにすると、もう少し違った角度から楽しい日々を送れるのではないかと思うのでした。資本家ほど「100円の消費」には躊躇しています。

ゼイリブ(字幕版)
ロディ・パイパー
2018-01-01