20170816

 相変わらず殺人的に時間がないから今回の記事も端的に思ったことを走り書きとして残すだけでございます。

 さてマシュマロにて以前「失われた信用は取り戻せるのか」という質問がありまして自分なりに経験などからウンウンと考えておりました。簡潔に述べます。


 失われた信用を取り戻すのは結論から言えばかなり難しいのではないかというものです。

 信用を失墜させるというのは、信用を失わせた相手に対して貴方ないし誰かに対する強烈なイメージを刷り込ませることになります。

 極端な話、一度でも殺人を犯した人間に「私は一生をかけて償います二度と殺人など犯しません」と言われても、多くの人が心の底から信用するというのはなかなかに難しいと思います。

 それは社会において殺人というものの重さがあまりにインパクトが強いためです。殺人であればまだ社会的に断絶された場所に居るということのほうが信用になります。

 失った信用を取り戻すというのは、そのインパクトが大きければ大きいほどに取り返すのが難しい。

 人によっては軽度な話であれ、遅刻を1回でもすれば遅刻しない信用を取り戻すには10回20回と絶対に遅刻しないことでそのレッテルから解放される。

 自分のために嘘をついたがゆえに信用を落としたのであれば、その人の吐く言葉に対しては常に警戒対象となる。

 これらを「取り戻す」というのは正直骨が折れる。

 だから「失われた信用は取り戻せない」という前提に思考を切り替えるのも一考であるとも観測しながら思う。

 「彼のAは信用できない。でもBについては信用している。差し引いてプラスである。」

 こんなふうに好意的に見てくれる人が居るならばラッキーだが、ようはこれを自分に置き換えてしまえばいい。

 「私はAについて信用を失った。代わりにBについては絶対の信用を得るように努力しよう。」

 失われたAにこだわるのも結構だが、例えばそれが社会的に取り返すのがとんでもなく大変な所業であったり、あるいは得意としていないことであった場合に、自分が割くべきリソースを失われたものに対してかけつづけることになる。

 それは少々酷な生き方である、と私は感じてしまうので。そこに苦しむよりもせめて別のことで自分にとってゆらぎのない信用に値する何かを守ることに力を注ぐのが、トータルで考えると結局は信用を勝ち取るのではないかな、と思われる。

 思うに社会で求められる信用、オーダーに全て対応するというのは、いや出来るとおもうのは自惚れなのではないか、と個人的には思う。自分が対応しきれないこと、気が回しきれなかったことに対する信用の失墜に嘆き焦り悔やむ時間を、自分の強みへと投資することが社会への人への信用を強固たるものにする、なんてことを思うのでした。

 というわけで失った信用を取り戻すというのはかなり大変なので、トータルで考えてそれでもその失われた信用を取り戻すために尽力スべきと考えるならば、時間をかけて取り戻すべきだし、それが難しそうなら失われた信用が霞むほどに別の信用を築き上げるのもまた選択であると考えます。
メールするほどでもないし、かといってコメント欄に書くのも違う、みたいな質問とかありましたらこちらのマシュマロのページに投げてみてください。
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