この記事は結構冗長なので先にオチだけ書いておく。

 「できること」を軸に据えると心が死ぬ。モチベとかのレベルじゃない。心死。
 得意でかつ、今まで最も時間をかけてきた分野こそが最強。
 また人間は「好き」でないことには、別の報酬が必要になる。

 以下駄文をダラダラと。

 普段のですます口調だと筆が乗らなかったので言葉遣いが普段とは違います。



 できること≠得意なこと
 好きなこと≠得意なこと

 得意なことって1番お金に繋がるスキルで、自分が得意なことをイコールでできることややりたいことに紐付けた結果として、コスパが全然上がらないことはままある。得意なことを軸に考えると

 得意なこと=好きなこと、だとモチベと収益がMAX
 得意なこと=できること、だと社会的に求められるためこちらもコスパ高

 これらが成り立つと良い。ただし得意でできることであっても、次に「好きか嫌いか」にまた分かれる。得意で出来ることであっても才能の持ち腐れに陥ることは意外とある。嫌いなものを好きになるというのは非常に難しい。



 ちなみに できること=好きなこと
 だと、収益に結びつくかは微妙だけど、比較的モチベが維持できる。良い。
 好きで続けられることは1万時間も続けばいつの間にか「得意」にまで昇華出来たりもする。

 次に、割とコスパ的に悲劇になりやすいのは「できる」けど「得意じゃない」こと。やってやれんことはないのだけど、とにかく時間がかかるしコスパ悪い。別に好きでもないからモチベも大したあがらない。モチベがあがらないからアウトプットのクオリティも高くなく、そのアウトプットに文句がつき、評判も上がらない。ラッキーパンチでお金になっても気持ちが維持できない。

 「なんでもやります」を掲げると比較的こういうメリットの無い状況が訪れる。賢人は近寄らない。私は愚者の方だから一回やってみた。苦しいだけだった。

 次に「好き」だけど「得意じゃない」こと。これは歯がゆい。モチベが落ちないけどコスパは悪い。趣味でやるならいいが、収益コスパを考えるとなんとも言えない。だけど前者の「できる」けど「得意じゃない」ことよりはまだ救いがある。気持ちの面では維持できるから。

 「好き」を仕事にしてる系の人で成功か否かを分けているのはこの要素だと思う。ちなみに得意かどうかについては才能の話でも過去触れたことがあるのだけど、1万時間無意識に何に時間を割いてきたのかだと思われる。特に若かりし学生時代に寝食忘れて没頭したものが、「得意」を作り出していると思う。

 漫画オタクは漫画家になれない的な話を聞くけど、結構乱暴な話だと思う。豊富な漫画知識からメタ漫画作家になれるだろうし、同じ雑誌では二番煎じになるかもだけど最近ビジネス書で売れ続けている名著漫画化においてはむしろ求められる能力(出版社は名著を引き立ててほしいわけで作家オリジナルが欲しいわけじゃない)である可能性もあり。

 自分が長く時間を費やしてきた分野というのは、それはもう吸収する癖が完全に身についているのだから最強の投資先になる。

 ともあれ「好き」が軸であれば後発でも結局気持ちの面での充実度が強いのでリターンが見込まれる。



 話は戻り。

 「できること」を軸にするのはめちゃくちゃコスパ悪い。
 まず気持ちが死ぬ。
 好きでもないことを人間はダラダラ続けられない。
 相応のリターンが見込めるとそれなりになんとかなる。
 相応のリターンがあるのに「今の仕事はなにか違うと思うので辞めたい」というエントリに対してものすごく罵倒が集まる。気持ちが死にそうというSOSに対して「根性がない」「恵まれている自覚がない」など飛び交う。

 わからんでもない。一種逃避の叫びであり、逃避の先で今よりも良い待遇が待っていると幻想しているのであれば、いや、逃避先もそんなには楽じゃない、と言いたい気持ちもわかる。

 記事の趣旨としては、逃避云々について語りたいのではなく。



 好きでもないけど「それなりにできる」という状況は、心が死にやすい。システム化された業務であれば気持ちが死のうが手足口が動けば業務は回る。日本のこれまでの産業構造は「気持ちはどうでもいいから、最低限ボトムアップでなんとかまわるシステム化」により属人化を極力排除してきた。人が社会の歯車化することで社会全体が回るようにできていた。(別に侮蔑してるわけじゃなく。社会の歯車になるのってめちゃくちゃ難しいと思ってます。私は今だに噛み合わせることができない)

 だけど人に依存しないシステムが、ITにより駆逐されている。

 最近AdobeSenseiで発表されていた適当な写真を数枚用意すると、AdobeSensei側でいい感じにポスターを作ってくれる実験的試みなどがされていた。これによって「Adobe製品を使えるだけ」のグラフィックデザイナーは今後死んでいく気がした。グラフィックデザインが死ぬほど好きで好きでたまらなくて常に勉強していて新しいアウトプットをしなければ生きていけない、そんな感覚をAdobeSenseiを見ていて感じた。

 別にITじゃなくても、好きであったり得意である人間の前に「できるだけ」の人は一時的に勝てても、結局は長続きしない。好きで得意な人たちが「できること」の水準をガンガン上げていくから「できる」だけではすぐに限界が来る。



 だから「できること」から何かを始めようとするのは、間違っている。どうも私はここ数年、起業した人たちや何かを成し遂げてきた人たちが「できること」ではダメだ、というフレーズを口にしている意味が分からなかったのだけど、起業してようやく分かってきた。

 「出来ること」はコスパが悪い。単にお金のコスパの話ではなく。気持ちが充実しなければそこに対し、学習意欲は沸かず、報酬が少ないことに不平を感じる。人は気持ちで満足しなければ残りは「金」になる。気持ちが消え、金も消えれば人は去る。金の切れ目は縁の切れ目。



 ところで人間、好きじゃなくても得意なことはある。私はこれが本当の才能だと思ってる。得意の基準は、任天堂の故岩田社長が「自分の労力の割に周りが喜んだり評価が著しく高いこと」という表記をしていて、始めて読んだ時に感動した記憶がある。

 また逆に、労力の割に周りが評価してくれないものについては不得意なこと、という扱いになるという。凄く的確な言葉だ。

 そしてこの「得手・不得手」は自分ではなく周囲の評価によって決まる。自分では評価が出来ない。

 (余談だけど、この基準から言うと面接の時に「貴方の得意なことは何ですか」という問いについて。自分が所属しているクラスタの中ではAという分野の評価が高いから相対的にAが得意だ、としても、その会社にとっては評価につながらない可能性がある。なので質問の本当の意味は周りの評価に耳を傾けているか、という問いであるということにつながる。バカ正直に自分が思う得意なことを話すのは場違いなのかもしれない)



 しつこいくらいに話を戻し、「できること」から始めるプロダクトは非常に具合が悪い。「好き」でなければモチベが下がるので、代わりに報酬が必要になる。また、「できる」が「得意」ではなかった場合に多くの時間がかかる。必然、コストもかかる。

 また「得意」は周囲の評価によって決まる。相対性を常に気にかけながら自分というものを、自分の商材を的確に持ち込む場所を探すのは重要なのだと思われ。



 ちなみにネットで仕事が繋がりやすくなっていっている現況についてこの「得意」が、組織の中だけで完結しなくなったので、相対的には「得意」を武器にできる人が減ってきているのではないかと思っている。

 先程、自分の労力の割に周りが評価する、という話をしたが、「周り」という存在がネットによって非常に増えた。増えた一方、自分と同じような労力で自分よりも遥か上のアウトプットする存在が可視化されるようになった。

 村一番の笛吹き、であっても、世界のもっとすごい人間には敵わない。相対的に村の中では得意な人扱いだったのに、世界中と比較すると大したことない。これは別に現実が変化したのではいが、社会の相対性が変化したということになる。

 どんな分野も常に可視化されている分野においてはその可視化されているなかではかなりの上位にならないと生き残れなくなっている。逆に言えば上位が総取りするような仕組みになってきている。その上位に食い込まなければ評価はグンと下がってしまう。



 すると時間投資の考え方についても少し掘り下げることになる。今、何に投資すべきなのか。時間を。株式投資だ投機だのは、既に金を持っている人間が考えることであり、金のない人間が考えるべきはまず「有限の時間」を何に費やすかという部分にかかってくる。

 世界からみて相対的な能力に時間を割り振ることが最もコスパが良い。「得意」というものが相対的な価値で決まるのであれば、まだ価値の上がりきっていないところに自分のリソースを割くのが的確になってくる。

 (絵かきが新しいゲームやアニメが出る度にジャンルを変えてそこで一番手になろうとすることを「いなご」と皮肉ったりするが、これは極めて正しい投資をしていると思う)

 私は出来ないから安易には言えないが、もっと踏み込めばまだ相対的価値も無い競争起こる前の「市場そのものを作る」という行為も鍵だったりする。



 話が色々と脱線したのでそろそろまとめると。

 冒頭書いた通りやはり「できること」というのはコスパが悪い。好きならばまだなんとかなるが、好きじゃなければ残りは報酬が無いと続かない。報酬を用意出来ないならそれはそもそもが間違っていた、ということになる。

 一方得意なことというのは、相対的なもので自分が決められることではない。なので「できること」が、場所によっては「得意なこと」として認定されることがある。ただの「できること」よりは報酬が伴うので気持ちもついてくる。

 そしてやはり「好き」であり周囲が相対的に「得意」であると認定することがコスパが最強である。個人としては探求し続けるべき課題であり、同時に人を管理するにあたってはその人の「得意」を見落とさないことが重要と思われる。など。

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