基本的に人間関係は他人の気持ちに寄り添うことで成立するわけですが、他人の事を慮るにはまず自分に余裕が無いとはじまらず。余裕がない時に「自分のことしか考えてないね君は」という話があってもなかなかそれは死体に鞭打つ発言だったりします。


 これがお互いに疲れていたり諸々事情から擦り切れていたりすると、ドカーンと戦いの火蓋が切って落とされたりすることにも。

 ところで日本社会は結構余裕の無い人が増えている傾向にあるなぁなんて思ったり。社会総出で貧乏になりつつあるし、外交でも負け続けているし、若い人は絶対に年寄りの数の暴力に政治として太刀打ちできないし。

 勝ち抜け出来た人たち以外はゆるやかに余裕を奪われていく。真綿で首をいつの間にか締められている状態。

 社会全体が余裕を失っていくと、社会がこれまでの道徳基準から見ると不健全に向かう。自分に余裕が無いのだから、まず自分だけでもなんとかしよう、と思う人が増えてくる。

 すると優しい人、お人好しな人、そういう他人を蹴落とすのには向いていない他人のことを慮って考える人が徐々に少なくなっていく。

 社会の姿としてはギスギスしていくけども、他人の事を心配する本当の意味で余裕のある人以外の、一般的に生活の苦しい人たちの性格は徐々に他人に厳しいものになっていくのだろうと予想。

 みんな自分たちの余裕を得るために必死になる社会。辛い社会な気もするし、今の状況に適した社会になっていくだけな気もするし。

 そんな中で余裕のある人やこの構造に気付いた人は、あえて他人の心配をしてさらなる徳を積んでいくという状態に。

 というのは置いといて、個人の話として。やっぱり余裕のない状態というのはあまり健全ではなく。人を思いやれなくなるから元気も無くなる笑顔も無くなる気遣いも無くなる。


 そしてそういった態度がさらなる火種を生んでしまう。なんとも悲劇的であります。

 余裕がない人、これから更に増えてきます。おそらくは。「他人のことを考えよう」って正論はみんながある程度余裕のある時期だからこそ蔓延した価値観なのかもしれません。故に、今まで以上に尊い考えだし、同時に理想論になっていくのやもです。ううむ

 とりあえず、余裕失ってる人に「他人のことを考えるように」っていうハードルの高さは異常、ということです。そんでまた客観的に「余裕を持って」他人を見つめると、その粗が見えちゃうんですよね。そして指摘するとつらみが生まれるっていう。難しい問題です。
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