かけた努力には比例した成果が伴わないと「自分の中で納得感が得られない」ものです。だけど実際に蓋を開けてみれば、個人が期待する努力が個人の期待感に返ってくることはありません。努力したから成果につながる、というほどに簡単なものでもないからです。(勿論努力は尊いものだし成功する人はすべからく努力しているものだ、とも思います)



 そこで努力したことを無駄だと思いたくないと強い思いがはたらき、努力することは正しい!という意気込みが発生します。そしてその意気込みは同時に「だから努力してない奴は間違っている」とかもっと酷い具合になると「努力していないのに成功してる奴が許せない」とか、あまりよろしくない方向に走り始めます。

 よく似たものに苦労があります。「これだけ苦労したのだから」という思考回路のもと、苦労体験を肯定するために苦労が美化されていきます。「過去苦労したからこそ今がある」的な発想。

 苦労の話もやはり苦労が自分の地になってしまうと、まず「苦労すること」が前提となって物事の成功不成功などを判断するようになってしまっていきます。苦労してないのに成功するのはおかしい的な。

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 いや努力も苦労もしないほうが良いって話ではなく、むしろ何かを達成するなら絶対に通る道ではありまして。

 そこではなくて、何かを達成する過程に努力や苦労は発生するものであって、それらは後から発生してる要素でしか無いわけです。ところが努力や苦労がいつの間にか「して当たり前」「しないのはおかしい」っていうような発想がいつの間にか念頭に置かれるような状況は結構目にしています。

 努力や苦労は本人が必要だと思って取り組むものであって、誰かが「苦労しろ」とか強要するものではない。本人が必要と思わないなら単なるストレス苦痛を与えるだけでむしろパフォーマンスは落ちる。

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 本題、努力と苦労はお酒

 努力と苦労の末、必ずしも本人が望んでいる結果を得られるということはない。むしろ多くの人たちは努力や苦労を望まず強いられていく。せっかく身を削って成果が得られなかった、そのストレスや失望はどう消化するのかといえば。

 これだけ努力して苦労もしてきた。この体験にこそ価値がある。

 こういうマインドとしての変換がはじまります。苦しんできた自分を肯定しないとやってられないのです。美化して、褒めて、肯定しないと、うまい言葉がみつからないけどようは自分がかけてきた時間がもったいないのです。

 でもこれ自体は人間の自尊心を維持する上で大切な機能だと思うので、まぁ仕方ないものだと思います。この機能が発動することで過去の努力や苦労は美酒へと変化いたします。

 一人でこの美酒に酔うには別に良いのですが、これを他人に押し付けはじめたり組織の失敗なのに個人が悦に浸るのに消費してしまったりすると、色々問題だなーと思うわけです。そして割と無自覚にやってる人多いなとか思ったり。

 しかもこの美酒に酔ってると、「酔ってるよ 現実見てよ」って指摘があろうものなら気分が悪くなる。「こちとら旨い酒を飲んでるのに!」と。

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 努力や苦労は必要な場面で必要だけど、なんでそれらをやってるかって、目標があってそれを達成するためであったからであって、決して努力や苦労は主体ではなかったはず。美化が始まったら酔いはじめてるから、他人との間柄では努力や苦労話は少し考えた方が良い、とか思うのでした。

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