はてぶでこんな記事がホッテントリ入りしてました。


 内容ザックリ説明すると、上司が部下のやる気の無さを攻め立てるのですが引用は控えます。「そういう反応だともう何も教えたくなくなるよね?」とか「そこで同期と差がついたんじゃないの?わかんないの?」とかパワハラめいた発言も気になる所ですがまぁ今回の話は主題がそこではないので。


■厳しく言われると育つのか

 まず主題回収。これについては「そうとも言えるしそうとは言えない」わけです。

 まず教育課程で「厳しく言われるのが割りと当たり前」な環境で育ってきたかどうかという下地が大事です。何も厳しく言われて泣くことがダメとか当たり前とかそういう話ではなく、どう育ってきたか。それにのみ尽きるのです。

 さて教育現場というのは報道で聞きかじった程度でも割りと早いスパンで教育方針が見直されています。


■皆同じ道を歩んでいない ただ、学生を卑下する教育は減りつつある

 私は子供に勉強を詰め込みすぎたと言われた世代から反転してもっと子供たちにゆとりを持った教育法であるべきみたいな考え方から「ゆとり」教育が推奨されてきた時代に生まれました。

 その後、ゆとりありすぎて学力落ちただかなんだかで時間や勉強法の見直しがされたり、男女の平等性だとかダンスだとか英語力だとか知育だとか様々なアップデートがされてきてます。今だとGoogleで調べれば大抵のことは見つかるから記憶力じゃなくて見つけた情報をチームで共有したり情報から何を学ぶかみたいな教育路線に舵切りしてる学校も出てきてるみたいですね。

 でも基本的にゆとり教育以前から大きく変わっているのは、体罰をはじめとして厳しい言説の回避。つまり教師側が下の人間に厳しく当たる行為を排除する方針でした。


■世代間の謎の争い

 これ私が学生時代からずっと大人の間で議論が沸き起こってて、軟弱な大人になるとかも言われてきたし、同じ学生の間、若者の間でも教育の差について、自分たちより下の世代はゆとりで甘えだとか、上の世代は我慢を強いられたことを誇りにしてるとか、まぁそんなの不毛なやりとりが。

 それで別に何が正解かって、実際蓋を開けてみても疑問符が浮かんでるんですよね。体罰的なことを受けてきた人達でもうまくいかない人はうまくいかない。ゆとりをもった教育を受けた人でも同じく。


■過程が見直されてきている

 別に厳しかろうが優しかろうかそこは前提の話で最終的より良い結果に結びつく方向性であれば、その結果が「厳しい」ほうに分があるということで厳しさが選ばれるぶんには別に良いと思うんですよね。

 でも自分が厳しい教育や指導を受けて、そうじゃなければ自分は伸びなかったから回りもそのスタンスが当たり前ってのは明らかに違っていて、けなされたり罵倒されながらが当たり前の人は自分の嬉しい部分がしっかり褒められて大事にされて伸ばされるって体験をしてないんですよね。

 それと比較をするより以前に「自分はこうだったから」という経験から後進へ同じような方針の話をするのは多分よろしくない。それは成長が止まっている状態なんだなぁと。

 いわゆるジェネレーションギャップ。それをその世代ごとの生き方とか社会を省みて相手の立場を想像して…みたいなのは流石に厳しい。なので会社組織のマネジメントなどは人間の行動原理に基づいた仕組みに注目が集まってたりしますよね。ゲーミフィケーションとか。

■良い結果がもたらされる過程ならば良いのでは

 つまるところ何が大事かというと厳しさも甘さも、個人のパーソナリティを犯すことであってはならなく、それよりも円滑に結果が得られるために何をどうしたらいいのかについて議論したり一緒に考えるのが最近ではトレンドですよねーという話でございました。

 より良い結果に結びつくためであれば甘さも厳しさも必要である、ということで。(ただしその厳しさや甘さに個人の適応力があるかは別途の話)

 そんで追加で最後に。

 若い世代程、厳しさとか根性論じゃなくてもっとシビアな出自と実力の社会と向き合ってるよなーとも思います。あと個人間のやり取りは別として、ビジネスは厳しくてシビアではありますね、と。。。

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