注:この記事はおっさんがネカマ時代を振り返ったり「可愛い」について考えるなど普段の私のブログの趣旨とは全然違う内容であり、そうした発想をすること自体にキモさを感じる人はそっとブラウザバック推奨です。


■知る人ぞ知る、おじさん美少女化空間

 最近VR界隈ではVRChatと呼ばれる空間内で、おじさんが美少女になりきっておじさん同士で百合するという熱い展開が繰り広げられているといいます(超局地的観測)。私は幸い?あまりにも忙しくてそっちの方に行けてないのですが、VRChatがヤバイこと自体はユーザーの熱量からすぐに理解し、多分入ったら帰ってこれないのだろうというのもなんとなくわかります。(それ以外の魅力も詰まってるんですけども今日の本題はVRChatではないので割愛)

■本題:コンシューマゲームにオンラインゲームがやってきた時の話 ネカマ時代の思い出

 VRChatの話がしたいのではなくて、おじさんが美少女になるという話。私が中学生時代はそれこそコンシュマオンラインゲーム黎明期であり、当時FF11に行くかPSOに行くかというので同級生と揉めておりました。友人のTくんはFF11廃人となっていつの間にかFF11が生活の全てになり音信が途絶えました。今は介護士をやっているとか風の噂に聞きました。もう少し大人でPCを買える人たちはウルティマやリネージュ等に走ってたみたいですが。

 今にしたら変な話になるのですが、当時コンシュマゲームにハマってた人々にとって、ゲームをしながらチャットするという文化はとても刺激的でした。なんせゲームはゲームクリエイターが作ってプログラマがCPUに組み込んだシナリオを読まされてるだけだったわけで、自分がゲームの世界に介入する余地なんて無かったわけですから。

 ドラクエなんかは主人公を徹底して喋らせないスタイルでプレイヤーがゲームの主人公にのめり込めるようなレベルデザインはされていましたが、それでもやっぱりゲームクリエイターが作った物語の上で遊んでたわけです。

 それがオンラインゲームになると、自分から「はじめまして」とか「よろしく」とか言いながら他のプレイヤーと共に会話を繰り広げるわけです。「今日は塾で遅くなっちゃった。ごめんごめん。あそこのダンジョンで赤箱掘ろうよ」

 とか、CPUとこんな会話はできなかったわけです。

 で、これだけならまだ友達の家で一緒にゲームしてるのと変わらなかったわけですが、今はもうすっかりと廃れてしまった感がある「ロールプレイ」は、とくに厨二心を煩わせた学生諸君にはそれはもう最高のおもちゃだったわけですね。

 とりわけ私がハマったのは「ネカマ」。ネットオカマ。死語ですね。私はネトゲ上では女の子キャラを演じてたわけです。詳しい話はキツイので省きます。。。 アイテム貢がれたり子持ちおじさんに告られたり、いつ男だとバレるかヒヤヒヤしながらプレイしたもんです。

 今ほどに「ネカマ」概念はあまり浸透してなくて、女性キャラを使う人は女性なのだろう、という純朴な価値観がネトゲ中にあったのです、コンシュマ黎明期のオンラインゲームは。

 女性キャラを演じてた自分はなんとも高揚感に満ちておりました。ただのもっさい中二男子がネットの中で女の子としてチヤホヤされるという状態は今までのどの体験にも無い異質なものでした。ジェンダーの垣根を越える爽快感。いや女子ではなく美少女キャラを演じてたわけです。黒歴史だけど得難い経験でした。


■美少女化するおじさん

 最近VRで自身が美少女キャラになるコンテンツで「可愛さ」に目覚めるおじさんの話題があり、わたし的にはとても深く頷いてしまうのでした。普通に男として生きてれば「可愛い」なんてことを自分に対して思うなんて普通には起こり得ないですから。

 だけどいざ自分が美少女化してその自分が画面内で客観的に見えるようになると、急に可愛さに目覚めるのです。もっと可愛い仕草をしなければ、言葉遣いに気をつけなければ、などなど。TPS視点のテキストチャットベースのオンラインゲームでさえそのキャラらしい振る舞いをしようと思ったのですから、自分がそのキャラになると考えると凄まじいのでしょう。


■自分ではない概念を纏う

 VR機材が無くても、スマホがあればFaceRigというアプリがあるので試しに女性キャラになってみると良いです。鏡(スマホ画面)に映る自分が別の顔になってるという体験は実際に体験してみるとみないとではかなり印象が変わってくると思います。

 FaceRigをやってみると、悟ります。あぁ、普段自分は自分の姿形にふさわしい振る舞いをしているだけなんだ、と。突然ある日容姿が変わればその容姿にふさわしい自分へと変貌していくのだ、ということが。

 ある一定クラスタでは髪型や色を何故か変える時期がやってきたりします。茶はかわいいもんで、金とかピンクとかまで走っちゃう人も居ます。
 髪なんかはとても分かりやすいコンテンツなので、色や形が変わるだけで鏡に映る自分の印象がガラっと変わるものですから、自然とその髪型にふさわしい雰囲気をまとっていきます。オラついた髪型でお坊さんのような性格の人なんて見ないですよね。卵が先か鶏が先かではありますが、先天的な気性からその髪型にたどり着くこともあるし、髪型の変化に性格がひっぱられることもあるし。

 あとはファッション。服装って自分を構成するかなり重要な要素なのですけど私みたいに家庭環境から超絶無頓着に生きてると意識が欠落してしまいます。昔の偉い人が「人は着ている服にふさわしい人間になるんじゃよ」的なことを述べるくらいに服装というのは自分を構成する大切な要素で、だからファッション文化って結構重要。

 とにかく人は自分を構成する要素に人格すら引っ張られる。おじさんが美少女の器を手に入れたら、心は美少女が主体となって行動するようになる。人は産まれた瞬間から「男・女」とか「産まれた国」とか「時代」などによって既に概念外装をまとって無意識ながらにその「役割」に沿う人間になっている。

 その無意識を、美少女キャラになるということで、認知のレベルから一時でも変化させる。VRじゃなくても、演劇でもなんでも良くて「固定概念とは別種の自分ではない何かを演じる」ことで、自分の中でたくさんの感情はただ単に「封印してきたものだ」というのが分かってしまう。

 私達がいかに概念の外装によって「私」を演じさせられているかが分かる。

 つまりおじさんが美少女になり「可愛い」を感じることはなんら不思議なものではなく、自分とはちょっと違う男キャラを演じるよりも遥かにそれは刺激的であり現実ではまず体験のできないことであり、今後も美少女になるおじさんは増えていくものだと勝手に予想するわけです。


■自分ではない自分を纏った自分

 今はまだキモズムでいうキモい領域から出ない話題ですが、もう少し広義で考えると、人はいずれ、自分ではない誰かの概念を纏うという行為をもう少しカジュアルに行えるようになるのではないかと思います。近未来のSF的世界はやってきている。美少女だらけで仮想空間で仕事の打ち合わせとかする時代が来るのかも。

 話のオチとしては、人は自分ではない何者かの姿を手にしたら、素の自分ではいられなくてその自分にふさわしい人間になろうとするので、美少女化したりすると改めて自分とは何なのかということに気づける、みたいな内容です。多分。見てる側もおじさんが話すのと美少女が話すの、あるいはテディベアが話すのとでは受け取る印象違いますよね。TEDがテディベアじゃなくて普通のおっさんだったらめっちゃキツい。

 ところで日本史はある側面では女装と共にあります。別に男が女性の概念を纏うことは今に始まった話ではないのです。下記の本面白かったのでいずれレビューしようかと。
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