私は札幌住まいなのですが、札幌で成人した人の中には「札幌市内でずっと育ってきた人」と「道内から札幌市に上京?」してきた人という大きく二種が存在します。何を当たり前のことをって話なのですが。。




■住環境と才能

 「才能」について思うことがあり定期的に私はブログ内で言及しているのですが、今回は特に「住環境における才能」について考えてみました。

 以前の会社では、元々の市内在住者(実家)5割、市外から就職してきた人5割くらいの割合でした。


■住環境の後ろ盾

 勿論各々の生活スタイルにもよりますが、まず実家暮らしとそうじゃない人の場合に絶対的に起こるのが家賃の差。実家暮らしの人がどれだけの家賃を入れてるかは家庭によりけりですが。

 実家暮らしであればそこから更に食や住にまつわる格差がそうじゃない者との差で産まれてきます。

 まぁそれで何が1番大きいって、失職時の拠り所の有無。また、充電期間を作れるかどうか、などなど。たまに起業家で耳にするのは実家で休んでたか奥さんが養ってくれてたか、という内容。

 別に起業はしなかたっとして、ひとり暮らしにとって失職は貯蓄が無ければかなりクリティカルなダメージを負うイベントになります。失職してからの家賃は自分の口座が頑張って建て替えねばなりませんから。(実際全世代で貯蓄ゼロ率が30%だったり)

 しかし実家暮らしであれば特殊な家庭事情を除き、ある程度親の加護のもとに英気を養ったり一時的な家賃建替えなどの交渉ができたりします。


■本題、住環境による才能格差について。

 前の会社くらいしか参考にできる人間関係が無いのでビッグなデータではないところからの話ですが。なんとなく実家が市外の人間は日にどうしても出費するお金や家の維持管理にかかる時間などからお金に対する意識が強くなる傾向にあるような?

 反対に実家暮らしの方はある程度余裕のある生活からより技術の向上などに向かっていくような?

 サンプルが少なすぎるため「ようだ」とか「っぽい」とかそれくらいの表現しか出来ないんですが。住環境という点に的を絞ることによって生活に関する危機感などの変化から無意識に考えの向かう先が違ってくるのかなぁなんて観察してます。


■人とビジネスと芸術

 後ろ盾がある環境、十分な兵糧が約束されている状態であれば人は技術芸術勉強等に関わる才能を開花させるために力を存分に発揮する(率が上がる)

 しかし後ろ盾の無い生活はその余裕がない。反面、その余裕の無さからより現実的にシビアにビジネスへと向き合う。のかもしれない。

 結果として前者は芸術家や研究者としての才能に時間を割きやすく、後者はビジネスマンや経営者方面での才能に時間を割きやすくなる?

 どちらが優れてるとかではなくて、「住環境」という点から才能というのはこのようにして分岐していく、というように感じます。あくまでマクロな話であってその個人個人の家庭が恵まれていたり貧しいかというのは勘定に入れてません。

 すごく乱暴な話ですけど、でも自分の後ろ盾になる存在が遠くにあるのか近くにあるのかって、それだけで既に才能を分ける一個のポイントになるんだなぁなんて思います。


■自分の事も客観的に見てみると面白い

 勿論一人暮らしでも芸術分野に秀でる人だってたくさんいますし逆も然りだからあくまでマクロ的に環境だけで考えてみた場合の憶測話です。だけどひとり暮らしで技術アート全振り出来るのはそれなりに少し他社よりも秀でたチャンスを得ている状態だと思うんですよね・・・。

 環境才能論で考えると自分のこともうちょっと客観的に見れるようになって自分が進むべき道も見えてきたりするので個人的には結構おすすめですよ・・・と。

過去の才能記事について↓


才能の格差について

才能ゼロの人間が、才能を求められる職場で働くための立ち回りについて



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天才になりたい (朝日新書)
山里 亮太
朝日新聞社
2006-11-01