私は根っからの環境論者で、人間の自由意志なんてものはおよそ存在していないと思っており、その観点から様々な人達との出会いを通して感じることは「努力とか関係ないじゃん 全部運じゃん」ってことなのかなぁと。

■「一生懸命頑張らないから報われない」→運が悪かったから報われなかった

 何か手にしたかったり成功したかったりするには通常努力が必要とされます。

 ところがその努力をしなくても成功している人も居ます。何故って、既に成功を収めるため全ての要素が環境が生まれた瞬間に揃っている。成長の過程で全てを手にしている。本人はそのためにめまぐるしい努力をしたわけじゃない。(もちろん全く努力してないという話ではない) 人並みの努力をしていた。

 かたや人の何倍も努力したけども、その結果にはたどり着けなかった者も。違いは何かって。運。全員が平等に手にすることは出来ない、運。


■「親の教育はどうなってるんだ」→親は選べない

 ついでに親もまた子供の頃があり、その当時親は選べない。良質な家庭を得ることは運でしか無い。良識を持ち常識を持ち、そういう人は既に生まれた瞬間から運に乗っている。少なくとも親の管理下にある10代までは完全に運。

 ただの十数年の溝ではない。十数年で家庭環境から得られる運の差は果てしない。家庭環境から既に運のふるいは始まっている。


■世の中をグっと俯瞰で見ると、もうこれ完全に運でしかない

 努力や勤勉さや人としての正しさとか倫理観とか色々世の中は常にアップデートされ続けているけども、そういう人の営みをもっと客観的に捉えれば、生まれる家庭や国の時点から運はすでにはじまってる。

 よく成功者などに「○○さんはもしアフリカで生まれたとしたらやはり同じように△△をやっていたと思いますか?」みたいな質問をしているのを見かけるけど、個人の意思にあまりに幻想を抱きすぎな気がする。環境が変われば人はその環境に溶け込む。それだけ。運。


■自己責任という残酷な言葉

 これだけ世の中はっきりと運がまかり通ってるのに、努力を怠った人間努力をする方法がわからなかった人間そうした努力環境を得られなかった人間、それらに自己責任という言葉はあまりに重い。

 運で今の生活を得た、運で今の性格を得た、運で今の倫理観を得た、そういう自分の運を、当たり前に得られたという幸せを、なにも噛み締めたことのない人間が吐く言葉であると、感じた。

 こんなにも運でしか無い世界で自己責任という言葉は本当に人の尊厳すらも無視した悲しい言葉だなぁ、なんてように思えた。


■運は人について回る

 私は多分世間的にかなり運に恵まれている状況を今送っているけど、自分は10年も前は超不幸だと思ってたし辛い辛いと毎日思ってた。ただ人との出会いで今の所運が回ってきたようなそんなタイミングになっている。

 思えば何かの本で読んだ「運は人についてまわる」というのを鵜呑みにして行動してからの変化だったと思う。自分の運は悪いから、他人の幸運のおすそ分けをしてもらおう、そういう風に生きてみたら少しずつ変化していった。

 悲観的なことばかり書いてきたけど、私は世の中の動きや自分自身を振り返ってみて大きな運であることを改めて把握して、其の上で運に乗ってみる、というような考えが出来るようになったことはとても良い変化だったなぁと感じてます。

 そういう言葉に出会えた事自体が私にとっての運だったのだと思うし。そのタイミングで知った言葉だったからこそ、今の大切な人たちに会えたのだと思うし。

 人生は本当に運でしかない。そう考えると一つ一つの物事に対して自分の至らなさ努力不足とかそういう側面からウジウジするのはちょっと自惚れ過ぎなんじゃないか、というように最近は思うようになってきました。人運です人運。

 運に出会うために人にたくさん出会うことは今後も辞めたくないなぁ、とそういう風に改めて思うのでした。
流行りに便乗してpeing登録してみたので、メールするほどでもないし、かといってコメント欄に書くのも違う、みたいな質問とかありましたらこちらに投げてみてください。何か答えるかもしれません。

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