自己分析は定期的にしておくと良いもので。自分の強み弱み変化点などは都度都度その日の感情とか出会ってきた人とか今いる環境によって変化します。変化しないものもあります。

 回数が増えるほど自分の安定した軸が見えてくるので、他人の言葉にいちいち惑わされたりイラつくことなどもなくなると思います。

 そしてこの自己分析は、自分単体でするよりも客観的な感想があって更に捗ります。



■他人の見てる私と、私が見てる他人

 例えば、人生の中で、自分の何気ない言葉に相手が「あぁ、なるほど」と妙に合点がいくような瞬間がたまにあると思います。

 客観的に見て「アドバイス」というほどたいそれたものじゃないにせよ、なんとなく相手に対して気になったこと、思ったことを口にしてみただけなのに。

 先日の記事にも関連づいた話ですが、人は基本的には自分の主観の世界に生きています。単純に言うと「見たい視点だけで世界を見て生きている」のです。

 正しく自己分析するというのは、その「自分が見たい視点の世界」以外から見た世界からの感想も受け止めて、多面的な感想によって成り立ちます。


■私は何も出来ない人間・・・?

 例えば私は周辺環境によって当時「何も出来ない人間」であるという精神状態にお地位入りました。何をやっても上手く行かず、他人の足を引っ張り、やることは全て裏目に出て、生きてる価値が無いから死ぬしかないなぁ、と。

 その当時私が見ていた世界には、道は一本しか無く、バランスを崩さないようにその道を歩くような状態。右にも左にも行けば死が待っている。

 丁度去年流行った漫画にこんなのがありましたが、とても的確。



■他人の何気ない客観視で助かった

 そういう時にある人が「でも貴方はこれが出来るじゃん」ということを説いてくれました。私が否定する度に「でも皆には出来ないし何年もやってきたことじゃん」と。

 私が見ている世界ではない視点から私が何者かを伝えてくれた人がおりました。

 それによって私は憎悪苦痛嫌悪焦燥自虐だけで自分を見ていた状態からなんとか抜け出しました。それが無ければそのまま自殺してたような気がします。南無。




■客観視によって自己分析は完成する

 結局のところ、人は自分のみたい視点でしか自分の事はどこまで見れていない。他人の客観的な意見が入って初めて自分の強み弱み得意なことなど諸々見えてくる。

 他人とのつながりをしっかりしようとかそういう趣旨ではないけど、でも他人から自分のことを定期的に聞くというのは、自分が視野狭窄に陥らないためには必要な事柄なのかもしれません。

 そういう意味では日記をつけるというのもまた一つ、今日の自分ではない自分から見た世界から物を語ってくれるので、記録をつけるといは良い事だなぁと思います。


追記:
そういえば昨年大ヒットした、この世界の片隅に、という映画も、これまで戦争を題材にしたアニメ映画はただ悲惨さを描いた、火垂るの墓、がスタンダードだったものに対して、戦争中でも日常がありましたよ、悲惨悲惨というだけではないんですよという別の視点を提供したという内容でした。(私の見方ではそうなったということ)

 自己分析ではなくて時代の分析の話ですけど。つまりは一つの視点から語られるものは真実ではあるが全体ではない、ということです。自己分析だって、自分主観の苦しみや喜びは事実であれど、全体ではないのです。

 ここに合点が行くようになると色々と心を整理しやすくなるなぁと感じるところでした。