先日、車をトヨタのウィッシュに乗り換えました。今まではコルトに乗っていたわけですが、その時は三菱車を、とりわけコルトを見つけては一喜一憂していたのですが。トヨタ車に乗り換えてからというものの、世の中には存外トヨタ車が走ってるものだなと気づきました。



■知らず知らずに主観は変化している

 考えてみれば日本を代表するグローバル企業であるところのトヨタ車が道路の至る所に走っているのは当たり前のことですし、何を今更改めてそんなことを言っているんだという話になるとは思いますが。

 でも、ウィッシュに乗り換える以前の私の目にはトヨタ車は「なんとなく居る」くらいにしか映ってなかったのです。

 と、車の話はこれくらいとして。


■自分が世の中をどう見てるかを客観視出来ると良いのかも

 つまり世の中というのは自分が主体的に何を受け取ろうとしているかによってガラっと変化するものなのだなという気づきがありました。いやそれ自体は何度となく気付いていたはずなのですが、ふとした拍子に忘れがちなのですこの視点。

 スイーツが食べたい時は町中のスイーツショップにすぐに目が行くのに、服を探している時は素通りしたり看板に気づかなかったり。

 同じ道を進んだとして、自転車に乗る時は快適さとか道の太さとかを見ている一方で徒歩の時には風景とか木々の種類が気になったり。

 鬱で辛い時には辛い情報が多く耳に入ってしまいよりいっそう鬱になってしまったり、他人が幸せそうにしている様子がカンに触ってしまったり。

 世の中という舞台では常に色んな事柄が発生しているのだけど、それらの事柄は観測者の感性やその時の気分や思考の偏りによって、全く異なる姿を見せてくれるわけでして。

 そういうものなのだと受け止められると、世の中というものは実に面白いなと、最近特に思うようになりました。


■「目」に定期的な刺激を与えることで視野狭窄に陥らないようにする

 10代の頃は30代の頃のことなんて想像のしようもなかったし、会社員の頃は会社を経営する側の感覚なんてまるでわからなかったし。

 ただ、世の中というのは勝手に変化し続けてて。自分がその時生きづらいと思ったり変だなと思ったりするというのは、自分が見つめる世の中の捉え方がどこか変なのかもしれないです。

 あるいは先述のように主観を変えるにはある程度の刺激が必要で、それがモノを買ったり今まで体験したことのないアクティビティをやってみたり、何よりいろいろな人に出会ってみることだったりします。

 どうにもままならないと感じている時は、自分の捉える世界の主観が凝り固まってしまっている状態なのかもしれません。そうした時は表に飛び出してみたり、新しい知識を手に入れてみたり、ちょっと羽目を外してみたり。

 そうやって自分の「目」をもっと刺激に晒して上げるのが良いのかもしれません。