自分自身に対してだと自己評価にすぎないけど、客観的に見た例からも、そうだと言える事象が発生したので、備忘録としてメモメモ。


■自分を捨てる…?

 タイトルの自分を捨てるというのはどういうことなのか。これは別に投げやりになるとか、誰かに奉仕して身を捧げるとかそういう意味合いのことではありません。


■仕事に自分を入れたがる

 私もまだまだ未熟で勉強中の身。偉そうなことは言えない立場ですが、様々な人を通して大変不躾ながら「仕事の出来る人」と「そうでない人」というの差異を見つめてきました。

 そして仕事の出来ない人、とりわけ仕事を始めて間もない人程「自分を入れる」ことにこだわっているように感じます。

 自分を入れるというのは、自分のやりたいことややりたくないこと、怒り悲しみ憎しみ、時間的言い訳に自分の趣味に、と、仕事に求められる成果以外の雑念が非常に多く、結果的にイマイチ成果も出てないという状況。


■余裕が一切無くなり「自分」を入れてる余裕が無くなった結果、仕事の質が向上したという不思議な話

 仕事出来ない私自身が体験してきたり、周りのいわゆる「出来ない」と思われてた人がある時突然、奇跡のワンパンチを打ってきた時。そこには共通点がありました。

 ようするに「余裕が無くなった」。ものすごくタイトな時間の中で、既に締切が迫っていて、寝不足なども相まって最早考えられることは「決められた時間に成果物を提出すること」だけに絞られた状態。クライアントやお客さんが今何を欲しいのかだけ、ただそれだけが重要事項。

 この状態になった時、ようやくブレの無い仕事のアウトプットがされました。


■自分を無くすわけじゃない ノイズを無くすということ

 余裕がなくなったことで、自分の苦しさとか寝てない苛立ちとか感情的な部分が一切排除され、仕事のアウトプットへのノイズが無くなった。ただただ目の前の「今成されるべきことは何なのか」だけが目の前にぶら下がっている状態。
 
 かといってこの状態は、自分を見失ったわけではありません。自分が出来る最大限で最短の方法にのみ注力されている状態なだけであり、この状態の自分が生み出したものこそが、その人にしか作れない仕事だったりするわけです。


■仕事出来る人への道のりは遠い…

 観察してきてみて思ったのは、仕事出来る人たちって大体百発百中で、自分のノイズは入れずに、自分の出来る事だけに仕事のアウトプットを詰め込んでるんですよね。だからもう本当に強い。

 まだまだ私は未熟でまず自分が楽しいとかそういうところから入ってしまいます。もっと常にこの、仕事の成果にだけポイントを絞る鍛錬をしなければと、そう思うのでした。
VALUやってます
https://valu.is/majikuzu
色々理解してる最中。
まじめ系クズこと、まじクズが日々経営者として奮闘する記録をブログよりも濃厚に残すかもしれないし、私のブログ活動以外の側面をこちらは色々と出していこうかな…?
フォローだけでもいただければいずれ何かやるかも。