出典:いらすとや
ブログを書き始め前が丁度5年前。もう五年もブログ書いてるの私…。
その頃に比べて、今は良い意味で図々しくなってきている気がします。精神的に昔に比べてちょっとタフになってきている気がします。
ただ漫然と加齢したわけでもなく、そこに至るまでには色々と習慣の見直しをしてきましたし、それが成果になってきてるのかなぁと思い、何をしてきたのかについての記録を。
■以前より寝るようにしてる
採算に渡ってブログで書いてるけど、寝る時間の総量は精神力に直結する。精神の健全さは健康にかかっており、その健康維持に最強のコスパを誇るのが睡眠。
■運動量増やした
私はデスクワーカーなのですがなるべく、少しでも運動出来る機会を増やしてます。寝る次に大事なのは身体を代謝させること。
■瞑想時間
シャワー、風呂、トイレ、なんでもいいから「何も考えないコアタイム」を意識するように。余計なこと考えれない時間をうまく作って、頭の中のバグを排除。フォーマットじゃなくて最適化。
■とにかくアウトプット
頭の中は放置しておくとすぐに新しい情報で埋め尽くされる。しかし頭のなかに漂っている言葉を自分に落とし込むのはアウトプットが必要。私だったらブログ。あとは誰かに伝える。
ラバーダッキングみたいな方法もある。ようは外に言葉をともなって排出することで、頭の中がまとまる。頭の中がまとまると、精神的余裕が生まれる。精神の余裕はタフネスにつながる。
■人の粗探しを辞めるようにした
粗探ししたところで、自分も粗はあるし、それを探すと嫌な感情が湧き上がるし。嫌なストレス値は自分の精神力を思ったより削る。タフさ手に入れるには普段削る精神力の量を減らすことも大事で、何も心を強くすることだけがタフになることではない。
■人に会う機会を増やした
私はとにかく臆病で、他人への恐怖心が強かったから、これ以上それがひどくならないようにと思って、他人との接点を増やした。なるべく一期一会の後腐れのない人との出会いを意識したのは功を奏した気がします。対人へのストレスが緩和されて、打たれ強くなりました。
■「とりあえずやってみる」を増やした
精神的タフさを手に入れるには、成功体験が必要なので、とにかく気になったことは手当たり次第にやってみることにしました。継続は力なりで、やってみるくらいだったら誰にでも出来るわけで、何十年もその道を進んでいる人の土俵に土足で上がり込んで失礼なことをしてきた気もします。
しかしながら私はその「とりあえずやってみる」ということにすら免疫がなかったので、この壁を取り払い、新しいことに対するハードルが下がったのは大変に精神的な強さを得られたと思います。
■「今日だけ」落ち込むことにした
私はとにかく暗いので、些細なことでもかなり落ち込むタイプでした。だけど落ち込み続けても大した意味が無い、みたいな文章をみかけてからは、とりあえず今日だけ、場合によっては1時間だけ落ち込むようにしました。
人によっては堪えてないように見えてつまらないみたいですが、堪え続けても特に良いことが無いというのを学びました。
■他人は自分に興味が無いという事実
自己愛で自意識の塊だった私にとっては、この考え方が割りと衝撃的でした。そりゃ考えてみれば自分も出会ってきた人たち満遍なく気にかけてるかといえば全くそんなことはなく、顔すら思い出せない人だって山ほど。
他人にとっての私も所詮その程度。そう思うととても心が強く持てるようになりました。加えて、他人の関心がその程度なので、むしろ自分はやってもらったことはしっかり覚えておかなきゃなと思いました。そういう事を教えてくれる人が側に居てくれたからというのもあります。
■人と比べるのをやめた
代わりに人と競うことに対してもっと真摯に向き合うようにした。人と比べるというのは比べ止まりで、それ以上の発展性はなく、ただただモヤモヤと心のシコリだけが残る行為。
どうせ比べるなら、競ってその席を自分が取るとか、新しい競争の場を作るとか、そういった方がよっぽど自分を鼓舞できるし、モチベにもなったりします。
■同情を誘うために自分を卑下するのをやめた
まじクズとか名乗っていながら何を言ってるんだって話ですが。自分が可哀想だからという同情を誘うための卑下は辞めました。同じ卑下するなら周りに笑ってもらう楽しんでもらう、役に立つ、そういう観点からの卑下がいいなと。
同情を誘って、同情してもらえなかったら、ものすごい勝手な考えですけど腹立つし悲しいので。同情なんて誘っても自分の心が乱れるだけで、それくらいならいっそ助けてくれと言ったほうがまだ健全。
■とにかく周りを得させるために
余裕なくなると自分のことばかり考えるようになるんですけど、そうじゃなくて周りが得するために何をしたらいいんだろうというのは考えるクセにしました。
精神的タフさにどう結びつくかというと、ようは四六時中自分のことばかり考えているのって、いつでも防御の姿勢をとりながらビクビクと攻撃に神経を張っている状態なわけでして。
タフになるには体力の使い方にも気をつけなければなりません。いくら体力を使っても常に神経張ってたら燃費が悪いです。自分の事を考え続けるのって燃費が悪いんです。それよりも周囲のこと考えてた方が、矛先が自分じゃないベクトルに向いてるので、結果的には気が楽に。燃費が良くなるのです。
■命はとられない なんとかなるさ
数々の修羅場を乗り越えた人たちはなぜだか「いいでしょ、べつに失敗したって命まではとられないんだから」という良い意味での開き直りが出来ています。実際私も失敗しまくって「確かにまぁ死なないなぁ」と(笑)
その良い意味での開き直りのお陰で結構楽になりました。
■悩む時間を短く。
とにかく悩む時間を短縮。30分とか1時間とか時間決めて、それより時間かかるようだったら人に聞くとか、放置するとかする。「今」これ以上悩んでも答えが出ないのなら、それはもう自分ひとりで悩む領域を越えているということになる。
■3割真剣に7割適当に バランスを
10割総当りで真剣に物事考えていたら、糸が常に張り詰めた状態になってしまうのであっというまにブチンとキレてしまう。実際に感情面でキレることもある。
(どうでも良いけど若者がキレやすいだのなんだの一時期問題視されたのは、そもそも年上世代が適当な癖に若者に10割の成功を求めてたからだと思いますの。人のキャパを全く考えず成功ばかりを押し付けるの大変に良くない あるいは年上世代にも余裕なさ過ぎとか。)
本当にしっかり真剣に考えて向かい合わなければならないことは1年の中でも結構限られている問題にと思われます。その取捨というのはなかなかつきにくいけど、考え方的には
1.自分の命に関わる問題
2.自分の家族の命に関わる問題
3.周囲の命に関わる問題
4.上記の人達の犯罪とうにまつわる問題
命の問題って衣食住。特に食住で、ここを脅かされるような問題においてはとにかく真剣に向き合って。命であれば同列病気や犯罪へ巻き込まれる事などへの警戒。
次にコミュニティの利益を脅かす問題があって。という形で段階的に問題の階層が出来上がる。恥とかプライドはこの階層にフィルタをかけるから非常に厄介。
■恥もプライドも捨て去った感
私は私の家族や関わる人達への恥やプライドのためになら頑張るけど、自分の恥やプライドを守ることにはもう特にどうでもいいかな、というのを特にブログ書いてからは真剣に考えられるようになっていて。これが私の中で一番大きな変化のきっかけだった気がします。
ブログで顔知ってる人にも自分の記事をついには見られ、私の頭の中、今考えてること、そういうのを全部あけっぴろげに見られて、まぁそれは当初とっても恥ずかしかったけど、今は「自分の恥程度はどうでもいいかな」と。
だけど周囲に迷惑をかけることだけはあってはならない、とこれだけは肝に銘じてます。周囲に迷惑をかける時はこの活動も見直さなければならないのでしょう。
ともかく、自分のプライドはどうでも良く、でも周囲にとって困ることだけはしっかりしよう、とこう意識するようになってからは随分楽になったしタフになったように思います。
■精神的なタフさの極意
結局ダラダラ色々書いてきましたが、総じて「抜くとこ抜いて、気張るところは気張る」という「緩急をつけよう」というたった一行で済む考え方だったりします。
だけどたったひと言で済まされても昔の私は納得いかなかったんや…。ということで、昔の自分が読んだと仮定しても大丈夫そうに色々噛み砕いてみたのでした。
もっと気楽に川の流れに身を晒す。流れるように生きる。ということなのかなと。
VALUやってます
https://valu.is/majikuzu
色々理解してる最中。
まじめ系クズこと、まじクズが日々経営者として奮闘する記録をブログよりも濃厚に残すかもしれないし、私のブログ活動以外の側面をこちらは色々と出していこうかな…?
フォローだけでもいただければいずれ何かやるかも。
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