僕を育てた人間が、僕が子供のころにかけ続けてきた呪いの言葉。

 「あんたそんなことしてたら周りの人に笑われるよ」
 「みっともない ○○くんもあきれてるよ」

 などなど。僕は子供のころから他人の視線に対する恐怖感を植え付けられて育ってきた。今でこそ上のような話は馬鹿らしいと突っぱねられるのだけども、当時は真に受けることしかできなかったし、その言葉は呪いのように僕を縛り付けた。



■自意識過剰な親の意識

 私を育てた親は、言い方は悪いが常に自意識が過剰であった。いつでも自分が悲劇のヒロインであり、いつも自分は報われず不幸であり、その原因は常に他者にあるのだ。

 私の親にとって、世界は自分を不幸にするためにできている、といっても過言ではない。まぁ実際に酒乱の癇癪持ちの配偶者に、はたから見ると人生を壊され半ば洗脳されているようにも見えたし、そこは同情している。

 だけど私のブログで度々触れてきているが、

 「周囲の人間はあなたが思うほど、あなたのことに興味が無い」

 この親に心を毒され続けてきた僕は、周囲の目にただ怯えながらどんな人にも壁を作り、つづけた。少しでも深く関わろうとすれば、絶対にどこかで失敗して、すぐに笑いものにされるに決まってるのだ、と。

 実際に僕はそうやって他人を遠ざけてきたから、実際にのけものにされてきたし悪い意味でのいじられキャラにもなっていた。ようは何言っても許されるという暗黙の了解が成り立つキャラだった。スクールカースト最下層に居た。

 僕はこの経験があったから「他人があなたに興味はない」という感覚が信じられなかった。だって僕は実際に、こうして他人にのけ者にされて笑いものにされて息を殺しながら悔しい思いをして生きているのに、この憎しみは嘘ではないのに、それでもどうして「他人が私に興味が無い」などと言えるのか。

 他人こそが私を苦しめ、私の人生をめちゃくちゃにしているんじゃないか。

 そういう怒りさえも感じた。

 だけども、私をこうして生き苦しくした元凶はやはり、私の親の自意識過剰な教えである。

 「笑われる」「みっともないと思われる」

 今でこそ思う。「だからどうした」と。いやつまりそれは「親である貴方が、私がみっともない行いをすることで笑いものにされるのが怖い」という、ただの自己防衛。それを子供である私をダシに使い、私を親にとって理想の人格を抑圧を加えながら仕立て上げたのだ。


■本質的に何を気を付けたらいいのか

 ちょうどタイムリーにNHK Eテレ番組内でラッセルの幸福論で、良い言葉を見かけた。人はあまりに多くのことにおびえすぎである。幸福であるためには生き死にや犯罪などに関わること以外には寛容であるべきである、みたいな内容。

 私の生きる苦しみは、「他人の目線や評価」を軸にした生き方を強要され続けてきたことによる「本質的に恐怖すべきものがわからなく、あらゆるものを恐怖の対象にせざるを得なかった」ことに起因する。

 死ぬことは恐れるべきだけど、他人の評価には逐一ビクつく必要はない。それが自分の生き死や犯罪リスクなどに関わる、と思うことにだけアンテナを立てておけば良い。


■振り切ったきっかけ

 そう、私の考え方はちょっと振り切りすぎなのである。社会をもう少し賢く渡り歩いている人は、バランス感覚を備えている。私は極端に振り切った考え方で生きてきてものすごく苦しんだから、まったく逆方向に振り切って、ちょっと恥を知らなすぎなのである。

 だけども私の恥の壁を破って、生きづらさを緩和させたものは「私がいかにどうしようもなく愚かで矮小な人間であるか、を反面教師にしてください」という思いで発信を始めたことにあります。

 衆目に対し、私という灰色の存在を晒すことは、ある意味私の親が最も恐れていたことであると思います。だから私は私がいかに最低な人間かをこうして吐露することで、親へ復讐しているのだと思います。同時に、救われなかった私の幼少期から中高生の時代を肯定して、そうして自分を慰めているのだと思います。


■発信して思ったこと

 話が逸れました。そう、結局、ここまでの醜態をさらして、それでようやくわかったことがあります。

 「他人は私にそれほど興味が無い」

 こんなみじめったらしいこと書いて晒したところで、他人は忙しいしもっと楽しいことをしたいのです。ウジウジしてる人にかまってるほど人生の時間には余裕がないのです。

 これを実感できて、ようやく人の目を気にすることが自意識過剰であったということに気づけました。でも結局僕はまだ振り切っただけであり、人間社会を生きるには先述の通りバランスが求められる。

 そうは言ったって、やはり襟元を正さなければならない場所はあるし、僕は僕だけで生きているわけではなく、僕がかかわった人達が僕に関わったことによる利益不利益を被っている。

 そんなわけで、適度に他人の目線を意識しながらのバランスを模索中段階である。だけど今度は恐怖ではなく、周りの人のことを考えながら。
VALUやってます
https://valu.is/majikuzu
色々理解してる最中。
まじめ系クズこと、まじクズが日々経営者として奮闘する記録をブログよりも濃厚に残すかもしれないし、私のブログ活動以外の側面をこちらは色々と出していこうかな…?
フォローだけでもいただければいずれ何かやるかも。
ラッセル幸福論 (岩波文庫)
B. ラッセル
岩波書店
1991-03-18