努力は必ず報われる、とは限らない。

 だけども「努力すること」と「報われること」というのは別の話。

 貴方の努力が報われないのは努力が不足しているからでも実力が不足しているからでもなく。努力と報酬の原理についての因果関係を無視しているから「報われない」と感じてしまうわけです。


■無駄な努力は無いが、努力が無駄になることはある

 世の中には「無駄な努力」という言葉がある。しかし努力して自分の中に得られるものはたくさんある。私は無駄な努力なんて存在しないと思う。

 例えば、拳で大木を叩き折るくらいの無謀なことだとしても、本人がたとえその大木を叩き折れなかったとしても、拳を鍛え上げられたのならそれは別に無駄な努力ではなかったということになる。

 だけども、反面「努力が無駄になること」は、往々にしてある。混同してはいけない。

 無駄な努力はない。努力できるということは才能だし、やれるならやった方が自分にとって良い。

 では何故努力が無駄になってしまうのだろう。


■何の努力をしたかではなく、何を為したか。何が為されるべきことだったのか。

 「これだけの努力を私はしてきた」

 こういう自己紹介をする人が居る。繰り返し、努力できることそのものは尊いことでありそこを貶めるつもりは無いわけです。

 しかし、努力をしてきた、ということは他人にとって大した重要なことではない。それよりも。

 その努力によって何を為してきたのか。

 企業も個人の労働者も考えるミッションというのは同じ。私は世の中の問題に対して何を為したか。また、何を為すべきなのか。困っている人は誰なのか。どんな問題が世の中にあるのか。私はその問題のために何を為すべきなのか。

 努力とはこの「為されるべきこと」に対して行うことで、自分にとっても周囲にとっても「報われること」になる。

 つまり、努力が報われないという状態は、報われるべき対象を明確にしていないことから発生することになる。

 絵がうまくなりたいのに絵がうまくならないのなら、勉強が足りない、ということになる。絵がうまくなるための方法の模索不足になる。

 だけど、絵の仕事がとれない、ということであれば営業努力・企画力が足りないことになる。それなのに絵が上手くなる努力だけをして「仕事がとれない。努力してるのに報われない」と嘆くのは、自分が為すべきことを見誤っていることになる。


■努力は報われる(ただし為すべきことを見誤らなければ)

 以上のことをあまり意識してなかった頃は私も、「努力は報われます!」みたいな言葉を見る度にうんざりしていた。

 だけど見方を変えてからは、確かに努力は報われるもんだな、と思うようになった。ようするに今まで自分が報われなかったのは、為すべきことに目を向けていなかった己の過失だというのがわかったから。


■余談:努力自慢狂信者について(努力の経済学)

 いかに努力をしてきたか。努力が収入に直結する、みたいな考え方、あります。

 もし本当に世の中の全てのパワーバランスが努力に直結するのなら、世の中はこんなに経済格差が開いていないと思います。多分努力によってもっと格差は縮小しているはずです。

 実際蓋を空けてみれば、富める者がさらに富む、という構造です。その人達が周囲よりもものすごく努力したかというと別にそういうようにも思えません。実際私は金銭的な見返りをベースに考えたら信じられなくらい世の中に貢献しているはずなのに、まったく収入を得られていない人を知ってます。

 その人の努力を否定するつもりも、その活動を否定するつもりも一ミリもありません。ただ、事象として、たんに金で金を設けてる人たちよりも遥かに尊いことをしている、凄まじき努力をしている人が、明日の支払いに追われている、という事態を目にしています。

 考えられるあらゆる努力をその人はしています。その人をみて誰もが「あなたは努力不足だ」なんて言わないと思います。

 その光景を見て、私は努力狂信者、具体的には努力をしない人間はダメだ、みたいな構造が心底滑稽でならなくなります。

 「こんなにも努力している目の前の人よりも努力してない人が経済的にも社会的にも人間関係的にも裕福な人生を送っているのなら、私達が当たり前に教えられてきた「努力」って一体何なんだろう、と」

 話が長くなりました。

 つまり、私達が当たり前だと感じている「努力」についてはよーく疑問に思って咀嚼してみる必要があるのではないか、とそう思います。

 勿論お金の面だけでは片付けられない複雑な話ではありますが、努力が報われないと感じるのは大抵収入面から来る不服感であることが多いと思いますので。


■して当たり前の努力にだけ力を入れると良い

 苦痛に感じることは多分努力してもあまり貴方に良い結果をもたらさない。苦痛から受ける報酬は、思ったよりも幸福感をもたらし、苦痛に対する言い訳を冗長する。

 苦痛の代わりに10万円得るのと、楽しんで10万円得るのだったらどっちが良いかと言われればマゾでもない限り後者を選びます。

 努力を凌駕するのは「楽しむ」ことにある。楽しむということは努力以上の効能をもたらす(と個人的には思っています)

 努力努力と呪文のように自分の頭の中を洗脳するよりも、楽しんだ方が強い。しかも楽しむ方が、報われる率がなんだかんだ高い。そう思います。


■タイトル画像の回収

 最後に、タイトル画像について。これはいわゆる賽の河原というやつで、鬼が死者に対して「○○個の石を積んだらここから開放してやる」みたいなことを言うわけですね。死者はなんとか頑張って石を詰むわけですが、残り僅かのところで鬼の金棒で崩されてしまう。

 努力して積み上げてきたものを頭ごなしに否定したりぶっ壊しにかかってくる人というのも居ます。大体目的は悪意ならびに洗脳などなので、この手の相手と付き合って感じる「努力が無駄になる感覚」というのはまた違う部類なので、気をつけましょう。
VALUやってます
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色々理解してる最中。何かやるかも。
まじめ系クズこと、まじクズが日々経営者として奮闘する記録をブログよりも濃厚に残すかもしれないし、私のブログ活動以外の側面をこちらは色々と出していこうかな…?
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