出典:いらすとや
幸せとは何なのか。世間的に言うところの、家族や仲間との時間とか、子供を育てることとか、お金じゃない価値とか。なんかそのへんのこと。真面目の皮を装ったボッチコミュ障クズには縁遠い言葉ばかり。
真面目系クズは幸せになんてなれないのか。いやそんなわけはない。そもそも幸せってなんなのか。グアー
■幸せになるためには金が居る
たまに何かにつけて「お金じゃない」という言葉を耳にする。確かに金を持ってるだけでは幸せにはなれない。しかし幸せになるには、まず不幸を避けることが必要。
金は不幸を回避するツールとして非常に優秀。
幸せは不幸な人間になかなか降ってこない。幸せになる準備のできてる人間に自然と降ってくる。
金が無いと不幸になりやすい。空腹なり不健康なり、なんでも。不幸になると、幸せに対する目が曇る。目が曇ると、幸せは手に出来なくなっていく。
金で幸せは買えない。しかし、幸せのためには金が必要。
■幸せの基準は何?
年収1000万円が幸せだと言うのなら、そうだろうけど、好きな時にマンガ読んで映画見て過ごすのが幸せ、なら漫画喫茶に働くということでその幸せの目標が達成できる。あるいは漫画喫茶に毎日通えるだけの収入があれば達成出来る。
幸せの達成が金額ベース年収ベースになると、よくわからないことになる。
幸せの基準とは、自分で作り出すことにある。
■他人と比べない
私のような人種にとっての不幸の始まりは、とにかく他人と背比べをすることにある。自分の評価基準を他人との比較に置いた途端、「自分の中」の幸せ基準が行方不明になる。
好きなだけマンガ読んで映画見るのが「そんなことは幸せではなくただの怠惰だ。幸せは人間関係や外の世界との触れ合いにある。それは過去に多く語られている」という言葉があったとしてそれがどんなに世間的に正しい幸せのカタチだとしても「自分の中では別にマストな幸せじゃない」と思うのだったら、そう感じる自分の感覚に声に従った方が幸せだ。
ひとりぼっちで他人とうまく交われなくて可哀想だ、と言われてもそれは他人の基準でありむしろ一人最高!となるのであれば、やはりその人にとっては一人が幸せなのだ。「今は良くても将来困るぞ!」と頼まれても居ない説教をする人も居るが、別にその人の言葉に従ったからといって幸せになれるという話でもない。
幸せ基準はどうしても結局は自分で定めなくてはいけない。
■成功すること=幸せではない
幸せの軸は自分で決めるわけであり、その軸が世の中で言われる所の「成功」なのであれば、その成功を目指すことで幸せを得られるでしょう。しかし、成功が万人にとって幸せかといえばそれはNOになる。
世の中が決めた成功の型にはまらないと幸せでないという漠然とした不安はまったくデタラメ。成功することと幸せはイコールではない。混濁すると困ったことになる。
■不幸な人と付き合わない
不幸な人と付き合うと、自分不幸になる。不幸な人というのは、他人と自分を一生懸命比べて、他人の粗探しをして、他人を中傷して、他人が自分より以下に劣っているかの品定めをして、ともに他人の不幸を楽しむ人のことを言う、と私基準ではありますが。
類は友を呼ぶ。不幸を呼ぶ行動をしていれば、不幸な人が寄り付く。
■楽しむ所からはじめる
幸せになる一番の方法であり最強の方法は、どんなことでも楽しんで挑むこと。自分から楽しみを見つけに行くこと。楽しんでいる相手は最強だ。どれだけ説得していかに貴方のやっていることがみすぼらしくて愚かしくてくだらないことだと説法を垂れようとも、楽しまれてしまってはどうしようもない。
だって本人が楽しいから、もうそれだけで十分幸せなのだ。
■まず自分が幸せになる事に集中する
自分だけ幸せになろうとするやつはクズみたいな論調、あるのでは。無いか。いやある。
しかしまず自分が幸せにならないでどうするという話。幸せとは幸せな人から幸せな人へと連鎖する。
幸せにならなければ、他人を幸せに出来ない。自分を不幸せだと卑屈になってジメジメし続けている人には、同じような人が寄ってきてしまう。不幸せは不幸せを呼び寄せてしまう。
自分をまず優先で幸せにしよう。自分のことばっかり考えよう。自分が幸せになったら、そこから他人の幸せなり迷惑なりを改めて考えよう。
人生は自分の幸せを追求すること。幸せになろう。他人の評価に振り回されるのではなく、自分だけのモノサシの幸せを形作ろう。
最近Twitterにいろんな人に不快に思われないように慎重に発言しなければ的な話を見たんだけど、別に好きなことつぶやいて好き内容に言えばいーんじゃないの!と。
VALUやってます
https://valu.is/majikuzu
色々理解してる最中。何かやるかも。
まじめ系クズこと、まじクズが日々経営者として奮闘する記録をブログよりも濃厚に残すかもしれないし、私のブログ活動以外の側面をこちらは色々と出していこうかな…?
フォローだけでもいただければ~
コメント
コメント一覧 (4)
どうすれば普通の人間になるのを諦められるのですか?
そういえばまじクズさんは「普通なんて無理」と開き直れていますか?
もしそうなら秘訣はありますか...
普通への適合を言語的非言語的に地球上の全てから迫られてるんです
その度に「まぁ自分は周りに比べて遅れてるから仕方ないか」と。
普通の家庭で育たなかったのだから普通の人と比べても仕方ないなぁとかも。
まぁあとは誰もそんなに私の事気にしてない、世間なんてそんなもんだ、と思うと随分気が楽になったように記憶しております。
普通の人間の難易度調べたら結構3歳時くらいからやり直さないといけないみたいなんで「あ、無理だコレ」と諦めた感じですね。
これなら真似できそうなのでまずはこれからやってみます
それにしても多数派の人達が優秀すぎて私にはとてもついていけそうにもありません
ご返信ありがとうございます
人の裸を見ると、人は必ず「笑います」。
小さな子供は成長過程で色んなことを覚えて、段々と裸を見せるのが恥ずかしくなります。また、そう考えるようになります。
その中でも常に裸でいられる人は、人を惹き付けます。良くも悪くも人を惹き付けます。ただ共通するのは、その裸を見た人は皆「笑う」ことです。
僕は「世の中はこんなもんだ」と思うだけでは我慢できず、辞める前に同僚の前で裸になりました。同僚は爆「笑」していました。でも後悔はありません。
僕は今、自分がほんの少しでも裸でいられる仕事を探しています。仕事の幅はかなり狭まりまりました。
僕はずっと裸を見せることなく生きていける人間は、サイボーグだと思っています。