人生のイベントが来る度に、知識の差というのはそのまま社会的な生きやすさとかに直結するんだなぁというのをひしひしと感じたりします。世の中はルールに満ちており、うまく悪いこと出来ないようになってる。

 しかしルールを知らないことで損するようにもなってる。


■例えば、雇用保険の規定は更新される

 そもそも雇用保険を知らない人も居る。知らなければ、失業してすぐに再就職に奮闘することになる。いや雇用保険の額がそもそも低かったり期間が短ければすぐに奮闘しなければならないのだけど…。それでも失業して1ヶ月くらいはちょっとのんびりしようかなーとかも出来る。

 しかし雇用保険は再就職した時点で支給が終わる。再就職の仕方によっては残り分が得られる。昔、起業する者に対して雇用保険は関係のないものだった。今だったら雇用保険開始時点でまだ事務所借りるなど起業に関する活動をしていなければ、セミナー受講することで起業する人に対しても手当がでる(たしか10万くらい)

 ところがこれらのルールを知らなければ、本来もらえるはずだった、自分がしっかり金を払ってきたことによって得られるはずだった見返りがなくなってしまう。知らなかったこからといって後からもらえたはずのものを取り返すことは出来ない。


■知らない人から順に損する仕組みになってる

 そう、仕組みを知ってれば当たり前に正当に主張出来る権利が、知らないことによって、得られない。世の中は、張り巡らされた仕組みを知らない人間からお金をちゅーちゅー巻き上げる事によってある意味成り立っているとも言える。

 通院代、個人だろうと事業を営んでいなかろうと、申請すりゃ何割か取り返せる。みたいなのとか。起業時の法人税、規定の場所で申請することで半額になるとか。

 知っていれば、回収できたお金、無駄に出費しなくても済んだお金。等々。ルールを知ってさえいれば当たり前に得られた機会を損失する。現状はこうして「無知」が割を食う形で成り立っていたりする。なんと酷い世の中だろう。


■ルールを知るために勉強する

 かつて自分は「人は何故勉強をするんだろう」と思い、そして回りの大人は「立派になるためだ」とか「良い企業に勤めるためだ」と言った。そんなわけで私は一時期勉強が嫌いになった。別に良い企業に勤めたいとも立派になりたいとも思わなかったから。

 でも、もし今「何故勉強するのか」と問われれば、おそらく「不幸を回避するため・簡単に人にだまされないため」というように答えるのだろう。多分。加えて「自分の選択肢を増やすため」とも答えるかも。これは今回の本題とは違うけども。

 ルールを知らなきゃサッカーもカードゲームも勝てない。万が一のビギナーズラックやラッキーパンチもあるが、文字通り単なる運。運だけで生きることは難しい。


■ルールは誰かが作ってる(誰かが得を受益するために)

 結局、ルールを知らなければルールを利用している人たちには勝てない。勝ち負けという単純な構造ならまだいいけど、ルールを知らないことで下手すりゃ犯罪者にだってなり得る。

 ルールに強ければ、ルールを利用出来る。そもそもルールは作れるものだというのも理解できる。しかしルールを知らなければ、いつまでもルールに利用されて美味しいところだけ持っていかれる。


■教育格差って何なのか

 こういう当たり前のことは、しかし義務教育ではあまり教えられない。この知識というのは結局、親から子に伝わっていき、知識の格差、経済の格差を生んでいく。取り返しのつかないレベルに。

 ともあれ、世の中は本当にルールだらけ。意識しなくても別に生きてはいける。しかし、頼る先も、財布をじわじわと蝕む相手のことも、分からないままに不安をモヤモヤ抱えるのは大変に生きた心地がしない。


■何故、何故、何故

 多分、大事な意識は一つだけで「何故○○はこうなってるんだろう?」という疑問を常に持ち続けることになるのだと思う。何故税金をこれだけ払う必要があるのか。何故この机はこの値段なのか。何故この機器は動いているのか。

 そして、その「何故」に対する答えは、だいたい用意されている。考え続ければ、きっとルールが見えてくる。ルールを見つめることが当たり前の人生になる。ソレは多分きっと、損をしない、不幸を回避する人生になる。

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色々理解してる最中。何かやるかも。
まじめ系クズこと、まじクズが日々経営者として奮闘する記録をブログよりも濃厚に残すかもしれないし、私のブログ活動以外の側面をこちらは色々と出していこうかな…?
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