通常、人は自分を肯定したがる。自分が正しいと思わなければ、自我が保てなくなる。自分を表面上否定する人も居るが、その否定している自分もまた肯定している。文字にするとよくわからなくなるが、つまり人間は自分を完全に否定することはない。

 しかし自分で自分を肯定するだけでは自己愛に浸っているだけになる。他者から肯定をされることにより、自信を得るきっかけになる。つまり自己肯定だけではなく他者からの肯定も得られてようやく自信へとつながったりする。

 これだけ書くと、じゃあ自分を否定する人は要らないんじゃないか、と思えるのだけど、そういうわけでもなかったりする。



■自信は慢心や傲慢と表裏一体

 周りを自分を肯定する人間ばかりで囲っていくことは気持ち的には楽。何をやったって大した否定はされないのだ。これは実に気持ちのよい生き方になる。自分が行動する全てに感謝の言葉が述べられ、前向きな言葉を浴びせられ、褒められて。

 大変に恍惚な体験だ。人間が求める楽園というのはまさにこれなのではないか。昨今のインスタやらFBやらTwitterやら見ても分かる通り、人は贅を尽くすよりも、承認を求められたい。人は承認され続けたい生き物。

 だから人の幸せというのは、ある意味自分を肯定する人間、承認する人間を自分の周りに置くことだったりする。

 ところがこれが続くと人間は簡単に慢心したり傲慢になっていったりする。


■慢心や傲慢は人を遠ざける

 人を破滅させるには、ただ否定せずに、その人のやることなすこと全て肯定してあげればいい。勝手に間違った道に進んで傲慢になり、手の施しようもない人間になるでしょう。

 そんな人間から周りは離れていくし、まぁ後のことはご想像におまかせします…といったところです。


■それを避けるために否定する人間の言葉を遮らない

 自分の考えを否定してくれる人はとても重要。常に正しくありつづけることは不可能といっても過言ではないわけです。そしてまた、他人からの否定というのは、他人と自分は別の考えを持っているという、いわば当たり前のことをしっかりと再任させてくれる。

 否定は、自分のバランスを保つために必要なエッセンスなのです。


■ただし非難したり侮蔑する言葉には耳を貸さなくても良い

 とはいえ、否定と非難・侮蔑はまた別物。人の尊厳を踏みにじることはやってはいけないことだし、やられたとしてもまともに受け止めてはいけないです。


■肯定と否定の中で人間的なバランスは組み上がっていく

 つまるところ肯定も否定も自分のバランスを組み上げ、自分の意識を育んでいくことには必要だということ。だし、他人との付き合いでも必要だということで。

 そんで特にマネジメントとかすると、肯定も否定も同時にしているとダブルバインドを相手に植え付けてしまったりするので、肯定する役と否定する役を用意したりして、うまく帳尻を合わせたりするなど。


■傲慢でも卑屈でもない、生きやすいバランスに

 自分を否定する人間ばかり置けば、自分の心を守るためにはじめから「どうせ自分なんか…」と卑屈人間になってしまったりする。何事もバランスがとれなければ人間の精神バランスはすぐにおかしくなってしまう。

 社会が存在している以上人は一人では生きていけず。他人との境界は常に寄せては引いての波のよう。傲慢でも卑屈でもないバランスを出来れば手に入れていきたいもの…

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色々理解してる最中。何かやるかも。
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