私は努力家というのは尊いものだと思うし、努力という辛い作業に対して真っ向から向き合える精神力のタフネスさというのは万人が手にできるものではない才能だと思ってます。

 そういう人は、努力して当たり前になりやがて「なんで周りは努力しないんだ?」という壁にぶち当たります。自分だって出来たのに、何故やらないのかと。でも努力狂でうまくいってる人ってあんまり見たこと無いなぁと。。。



■努力してるつもりが人を恨むようになっている

 私の周囲にも居たし、私自身がそうなっていた時期もあったけど。努力していない人を見ると「なんで楽しようとしてるんだ?努力しろよ」みたいについイキってしまうときがありまして。

 自分の其の頃の精神状態ってどうだったのかなと思うと。嫌なこと、やりたくないことを上の顔色伺って、我慢して「これは自分にとって必要な努力だ」と言い聞かせてきたのですね。

 我慢してるから当然ストレスはぐんぐんあがる。そのストレスの矛先は「自分と同じように努力していない人間を軽蔑する」方向に向かうわけです。

 私だってこんなに苦労してきてるのに、仕事時間にべらべら喋るは仕事しねーわなんなんだよ!勉強しろよ、してないのに言い訳すんなよ、プロなんだから努力しろよ!出来ないんなら来んな!辞めろ!

 みたいな。いやぁ酷い。努力に取り憑かれた人間は努力出来ない人がどんどん許せなく鳴るのです。


■各々事情を抱えている(想像力の欠如)

 私もそうだったけど、努力しまくってると自分で思い込んでる人は、他人の目線に立つという考え方がすっぽり抜けているように思います。お客様への配慮とかそういうものじゃないですよ。人間同士の関係の想像力。

 「努力してない」ばかり見ていて、其の人が努力出来ない原因とか、環境とか、まで考えられなかったり。

 そもそも「努力」する必要があるのかということも見落としてしまう。


■努力できない土壌 やる気が失われる土壌

 環境に触れたけども、努力出来ない土壌というのはある。

・褒められない
・応援されない
・見返りがない
・ビジョンが提示されていない

 人は誰ひとりとして同じ環境は与えられないので、職場が割りと努力風土に満ちていたとしても、家庭環境が壊滅的だったりするとこうなる。一人暮らしだとしても家の中が雑音だらけだったりなどなど。


■努力しないと出来ないことじゃなく、得意なことやってた方が良い

 そして努力狂い見落とすのが、得意なことをやった方がコスパが大変良いということ。努力狂いは我慢して我慢して感覚がバカになって、努力こそ正義で努力でこそ道は開けるみたいな脳筋状態に陥るのだけど、得意なことやってた方が健康的。

 努力狂いは「好き」に対しては目を向けられるのだけど「得意」についてはまるで考えられない。


■得意>好き>努力しないとダメなこと

 なんとなく努力するの嫌いだなぁと思うのなら、多分向いてないのでしょう。おとなしく得意なことを極めていくと良いです。任天堂の故・岩田社長いわく、得意なことというのは「自分ではあまり大変だと思っていないのに周りがとても感謝すること」が、自分の得意なことなんだそうです。

 逆に好きなことだと、得意じゃないことでも踏ん張るだけ踏ん張れるけども、実りは少ないのだそうで。好きなことを続けるのは努力にはならない。

 とはいえ好きなことがたとえ不得意でも、1万時間の法則に則れば、上達はしているはずなので、結果的には得意なことに昇華されるのかもしれません。

 努力というのは私は一番コスパ悪いよなぁとか思ってます。好きじゃないことは努力でコーティングするわけですから。こうなるとモチベーションとの戦いになる。しかし人間のモチベーションなんて天気ひとつで左右される脆いものです。

 なので努力は本来コスパ悪いものだと思います。それが出来るのは才能。


■Q.努力狂いに絡まれたら?

A.受け流しましょう

 近視眼になって貴方のことなんて見てませんから。「努力しない貴方」を見て、自分に言い聞かせてるだけです。自分はこんな風にならないぞ、とか、努力してきている自分は間違っていないぞ、とか。

そんなところで。

努力狂いは怖い。
VALUはじめました
https://valu.is/majikuzu
色々理解してる最中。何かやるかも。
まじめ系クズこと、まじクズが日々経営者として奮闘する記録をブログよりも濃厚に残すかもしれないし、私のブログ活動以外の側面をこちらは色々と出していこうかな…?
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