どうやら普通の人は予測がたてられるらしい。事前にリスクを見つけ、事前にリアクションを予想し、そうならないための手を打つ。調べることは徹底的に洗い出す。普通に考えれば出来ることらしい。

 でも、その普通が自分にはできない。


■賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ

 出典元が実は定かではないとされる、一応ビスマルクが言ったとされている格言です。
現代的に言えばようは、バカは痛い目見ないと分からなく、賢い人は他人の失敗に学ぶ、という内容です。

 わたしの解釈としては、この愚者は他人の失敗に興味がない人なんだなぁと思います。私みたいな。大抵の良識ある人達は他人の失敗を見つめて「あぁはならないようにしよう」と反面教師にする。

 だから私みたいなのは本当に失敗するまで、大怪我するまで分からない。事故を起こさないとスピードを落とさない。仕事で失敗しないとリスクマネジメントが出来ない。

 結局、他人に感心を持たないから他者の失敗から学べない。自分を何か特別な人間だと思って自分だけは大丈夫と思っているから学ばない。いくら歴史を知ったところで、人に関心を持たないから役に立たない。

 ワタシ的には、愚者というのは他人にまるで関心を持たない人のことを指すのだと思います。


■失敗を軸に考えると…

 失敗を回避したいと思うのは、つまりは失敗を常に意識しているということになります。成功させるためには何と何が必要で、多分こういう危険性があって~と考えるものだと思うのです。

 ところが失敗を回避するというのは常に与えられる情報を受けとめるだけの作業になります。何か物事が発生してからその回避策、失敗しない策を考える。でもそれは、単純に言えば何もしなければ失敗はしないわけです。なにもしないことが最も的確な策。

 だから失敗ベースというのは得られるものが少ない。しかも起こる出来事に全て後手後手に対処することになる。他人に振り回される。

 他人に振り回されるというのは、失敗リスクを制御出来ないことに等しい。だから失敗して初めて「これは失敗だったのか」と認識できる。

 何故失敗しないとわからないのか、というよりも失敗するまで失敗の認識が出来ない。


■普通の人は出来るらしい

 たとえはじめて取り組むことであっても、失敗のリスク回避などは普通の人は頭が回るらしい。それはきっと、周囲に関心を持って情報を集めて周囲から学び、成功するための道筋を描いてから失敗のリスクを潰し、自分が主導して物事を進めていくからなのでしょう。

 私みたいなのは、それの真逆を行くから大変に苦しいことになる。そうして、失敗してようやく問題に気づく。でも気づいた時には遅い。そしてその遅さから、次回もまたおなじ失敗をする。負け続けるループに入る。

 やれることは、形だけでもいいから、まずは他人の失敗にもっと興味をもって内容もそうだけど他人に興味をもち、自分が主導で物事をすすめること、なのでしょう。そうすると、失敗の質が変わる。経験値となる前向きな失敗を得られるようになっていく。

 そんな風に最近様々な人たちと仕事をする中で思うのでした。