最近いただいた相談メールの中で、少し思うところがあったので補足もかねて色々と書いてみる次第です。


■謝れど謝れど我が暮らし楽にならず

 悪いことをしたり、否があることをしてしまったら謝るもの。考えるまでもなく行う当たり前のこと。学生時代だろうと社会に出てからの公私だろうとそれが当たり前のはず。

 はずなのに。

 何故かいつの間にか、謝ったことによって状況がもっと悪くなる。間違ったから謝ったのに、申し訳ないことをしてしまったから謝ったのに。謝るべきところでちゃんと謝っているのに、何故か状況が悪化する。

 こんな体験はありませんか。私はありました。


■謝られたところで困る

 相手からこんなことは言われませんか。

 「謝られたって困る」「謝ればなんとかなると思ってるんじゃないか」と。

 謝っているのに、謝ったせいで相手の心象が更に悪くなってしまう


■謝って得られるのは、相手への罪悪感の払拭

 謝まるというのは、こちらとしては相手への誠意のつもりだったり、悪い印象を軽減したいとか、相手の腹の虫を収めたいとかいろいろな思惑があるわけですが。

 結局謝罪に対して相手が得られるものは特に無く。むしろ、単に謝った側の気持ちを収めるための行為であることが強かったりします。そういうのが透けて見えるともう相手は嫌になりますよね。

「私のことを思ってじゃなくて、自分の心が助かりたいから謝ってるのね」と。


■謝るのはただのコミュニケーションで問題解決手段ではない

 ということで、謝るというのはただの所作であり、謝るということは謝った側の気を晴らすための行為であり、謝られる側というのは「その先」を期待しているわけであります。

 「その先」はもちろん、謝らなければいけないような状況に対する処置です。人様の家のガラスを割れば弁償だし、友達のおもちゃを無くしたなら同じものを買って返すなりとにかく必死に探すなり。過失により取引先に迷惑かけたならその賠償を。仕事が遅れたならその代替案を。

 謝ったから何かが解決するというものではないわけです。


■謝ったもん勝ちという考え方

 ちなみに、そういった話の一方で、謝ったもん勝ちという考え方もございます。ものすごく憤慨している相手に対して放置するのか謝罪するのか。大人の対応としてまずは謝罪。これだけで「怒りのボルテージ」が鎮火したりするもの。

 謝ることは何かの解決手段ではないけど、謝ることで相手の怒りを沈めたり、相手が感情にまかせて飛びかかってこようとするのを防いだり、色々と効果はあります。コミュニケーションの手段なので。


■謝るグラデーション

 1の力で謝るときと10の力で謝る時がある。物事には何事も緩急がある。謝るのが下手な人はいつも一律5で謝ったりする。場合によっては軽い案件、場合によっては重い案件。

 軽い時は5の力で謝られると「いや、そんな真面目に受け取られても…」と相手が困る。
 重い時は5の力だと「そんな軽くしか受け止めて無いんだ」と呆れられる。

 謝るにも緩急がある。


■謝るの禁止にした職場

 ちなみに私の過去努めていたところでは、ある人がすぐに謝ってしまってそこから物事が前に進まないということがあった。やったこととしては謝罪を禁止した。具体的には「すいません・申し訳ないです」を禁止。

 謝らないで、起こってしまったことをどうやってリカバリかけるかの意見を言うようにという方針にした。結果としては、ウンウンとその人は悩みながらも物事が前進するようなアイデアなどを出すようになった。

 下手に謝るくらいなら、謝罪の顔色とか声色とかに気を使うんじゃなく、解決法のみに集中するというのが良いのかもしれない。


■謝られる人の気持ち

 最後に。謝り慣れてしまった人には、なぜだかその人に対して謝ってくる人が少ない。だから余計にわからなくなる。でも、謝られる人の気持ちを考えられるようになると、気安くに「ごめんなさい・すみません」は出てこなくなる。

 かるーい話を深刻な顔で謝られたときの気まずさとかをイメージするのは大事なのかもしれない。

 ともあれ、謝るというのはコミュニケーション手段のひとつであり、謝ったから何か物事が解決するわけではない。謝って状況が悪化するというのは、謝って以降の解決手段になにも思考を割かないからなのだと思う。私はそれでこっぴどく怒られたし心底呆れられたし。反面教師になればと。