人とぶつかることをコミュニケーションの手段として最適と捉えている人が居ます。私はそれはそれで別に良いと思うし、否定も肯定もしないです。

 でももし人とぶつかりたくないと思っているのであれば正論の扱いには細心の注意を払うのが賢明です。



■正論は誰でも言える

 誰の目から見ても状況の問題点が分かっていて、こうすりゃ改善なのに、というのはどんな現場にも起こりうること。2歩3歩引いた目から現場が近視眼になって見えなくなっているものが見える。距離さえ置けば正論というのは見える。


■正論は実現が極めて難しいから正論になる

 その輪の中で何故正論がうまくまかり通らないのかと言えば、言うまでもなく人間関係の中から生まれるさまざまなしがらみ故。


■正論の暴力性

 そうした中に正論をぶっこむというのは、暴力。あーすりゃいいのに、こうすりゃいいのに。言うが易し。言ったが最後、「じゃあ自分がやれば?」

 正論を言った側はそんなつもりで言ったわけじゃないからムっとする。空気は最悪。まぁこれがトリガーになって解決に向かう場合もあるし、崩壊に向かう場合もある。

 正論はある種均衡状態に対するトリガーみたいなものでもあるのかもしれない。いずれにせよ強い暴力性をはらんでいる。集団ならまだそれで済む。

 でも個人だったら・・・? 正論の暴力に苦しんでいる人は少なくないように思う。


■正論を思いついたなら一晩寝かせておけ

 正論だけじゃないかもしれないけど、良いこと思いついた! と思ったらだいたい一晩寝かせると良い。冷静な判断が下る。 大体その正論は、相手のことも周囲のことも何も考えてないということに気づく。


■正論を言うお仕事

 プロジェクト全体など見渡すと、だいたいがスタッフの間をかけずりまわる制作部隊。彼らが正論を言うお仕事になる。彼らが近視眼になり一つの現場しか見えなくなると、炎上する。タスク管理しやすい開発ではガントチャートなどがこの役割を果たしている。

 人と人が接する仕事だと現場はまだまだ人間同士を結ぶ人が立たないと機能しない。この人達は、納期とか上の移行とか下に意見の吸い上げとかあらゆる部分に翻弄されながら、あちらへこちらへ確認処理をしていく。

 この人達は現場が集中するところに割って入って正論を押し通すことがお仕事。じゃないと、開発だけではぐだぐだになるから。だから大体嫌われ役になりやすい。だから仕事になるとも言える。私が最も尊いと思う職種の一つ。

 仕事だからやってられるし、私生活の人間関係にまで正論を持ち込むのがいかにただの心労にしかならないかというのも分かる。

 でも相手の立場に立たなかったり想像力がなかったりすると正論は平気で飛び交う。


■正論を通すにはそれなりのエネルギーやら覚悟やら諸々必要

 正論というのは他人にぶつければそれで終わりじゃない。言ったからには自分もその口で言ったなりのことをやらなければならない。正論だけ口にするのは、ただの口だけ。口だけの人間が信用されるかと言えば、NO。

 正論を言うというのは無意識に自分に対してリスクを発生させている。リスクを負いたくないなら、正論は言わない方が賢い。繰り返し、誰だって正論は言える。貫くのが難しいから皆もがいている。言うだけならタダだけど、言えば言うほど自分の株を落としている可能性の方に目がいっていないのなら、危ない。

でも正論を押し通しても行けると思うのなら、それは実行したほうがむしろ良い。出来ないのにやらないほど、愚かなことはない。


■話は戻って

 でも、あくまで人とぶつかりたくないというのであれば、正論は絶対に封印した方が良い。思っても口にしないほうが良い。正論は単に相手へのマウント。マウントとられて喜ぶ人間は居ない。

 正論は、本当に慎重に。