コミュ症はとにかく主張が苦手です。過去に自分が何か主張したことによって手痛い失敗や微妙な空気感などを肌身に感じてトラウマになっているからです。はい、私です。

 コミュニケーションが苦手だから人の話を聞いてる分にはまぁそこそこ耳を傾けることができて「○○さんは話を聞いてくれるから良い」みたいなこと言われたりもするわけですが。

 ぶっちゃけ話すのがとにかく苦手だから聞くことくらいはせめて頑張ろうと思ってたわけで。

 しかしまぁ、つくづく思うのです。それだけではただの都合の良い人だと。


■コミュ症の弊害

 コミュ症は他人の考えていることが読めない。だから自分から何か主張すると大抵周囲とのズレを起こして、恥をかいたり、爪弾きにされたりする。その性分が嫌な人は徐々に黙り込んでいく。

 「自分はしゃべらないほうがマシだ」

 と次第に自分の殻に閉じこもっていく。あるいは主張をやめていく。


■いい人止まり

 人の話を聞きに徹する役に入るというのは結構おいしい役回りではある。世の中は自分のことを話したい人だらけだから、黙って相槌打ってくれる相手が居るというのは非常に嬉しいのだ。

 中にはそうやって自分から主張をせずにお金を稼ぐ人も居る。でも実際彼らが主張してないかといえば、そうではなく。聞く事で自分を主張していたりする。そういう人の主張はさりげなくて、上手い。

 聞いてるだけでも嫌なことは嫌だと主張したりする。話をべらべら出来るよりも、こうした人の話を受け止めながら自分の主張をやんわり通す人は本当に凄い。

 だけど、本当に主張しないで同じようにただ相槌をうつ人もいる。しかしそれは「ただのいい人」であってそれ以上にはなれない。相手が一方的に気持ちよくなって終わる。

 もちろん気持ちよくなった相手が何かしらお礼をしたりはするものだけど、ただのいい人はそれの価値がわからずそのまま受け取る。それは大抵見抜かれる。以降、其の人にとって自分は「ただのいい人」もとい「都合の良い何でも言うこと聞いてくれる人」になる。


■相手の事が考えられないから主張が失敗する

 話は戻り、主張しなければ何かを手に入れることは難しい。だけどコミュ症は相手のことが考えられないから主張に失敗する。先の聞き上手に関しても相手のことを考えているからこそ聞き手に回れる。

 じゃあ諦めるしかないのかといえば、そうでもなく。


■代わりに理論を考える 自分の武器は何なのか

 私は自分のコミュ症っぷりを笑いのネタにした。仕事で失敗したときの自分に対する慰めにもした。「だってコミュ症だから」

 でもそれが出来ない代わりに、理詰めで主張を考える事にした。何かが必要ならどうしてそれが必要なのか、相手が疑問に思わないようにしっかりと組み立てた。

 それが無いコミュニケーションは失敗するものだと割り切った。

 自分の武器は何なのか。

 コミュ症は恥であり負い目であり弱点。ゲームのステ振りと同じで、得意じゃない分野のステータスを底上げしたところで何の特色もない凡キャラになるだけ。そうじゃなく、そこを諦めることで代わりに何を手に入れるのか。

 個性は変えられない。そう簡単に変えられない。それこそ腕の一本でも失わない限り、最愛の人を失うでもない限り、人生が大きく変わるターニングポイントがやってでも来ない限り変わらない。そしてそれは自分で制御できない。

 自分で制御できる範囲は、個性を活かす方向。

 余談だけど、自分の武器を鍛えることはそのまま自信にも繋がる。武器は研ぎ澄ませば研ぎ澄ますだけ周囲が褒め始める。褒められると自信がつく。なんて単純。だけど、褒められることは人間にとって必要なエネルギーだったりする。なんでもいいから武器を磨いて、褒められるところまで達すると良い。

 周囲100人のうちの1人しか持ってない能力なら既に誰かが褒め始める。Twitterとかは承認欲求装置だなんて呼ばれているが、それを満たすことは重要なのです。ちなみにソシャゲはそれを上手く利用してお金を回収する仕組みで成り立っていたりするのですが・・・


■コミュ症を利用する

 どうせ空気は読めないし相手の考えも理解できないから、だからといって縮こまっていては奪われるだけ。主張しない人間が得られるものは少ない。

 信用出来る人・いい人・謙虚な人

 結構な話だと思うけど。じゃあそういう人間だから何だという話なのが現実で。世の中見渡せばがめつく何かを取ろうとする人間、大人しくても相手の利益を考え自分がとるところはとる、と立ち回っている人が生き残る。

 コミュ症だろうと空気を読まずに主張していく人間が何かを手に入れる。

 逆にコミュニケーションに優れていようとも自分から取りに行かない人は、周りからどんどんむしり取られる。

 どれだけ生活が発展しようと結局何かを掴もうとする人間だけが何かを得る。コミュ症は個性でしかない。治そうともがくよりも、コミュ症すらも自分の武器にして、自分の欲しいものを取りに行くというのが良い。

 世の中の仕組みは常に、何もしない「いい人」から奪うように組み上がってる。

 コミュ症は個性。コミュ症だからって悩み続ける必要はない。立ち止まっていたら取られる。傷ついても主張しよう。傷つきたくなければ、傷つかなくていい主張の仕方に知恵を回そう。主張しなければ、消える。