私はとにかく人に馬鹿にされるのが怖かったし、出来れば自分が可もなく不可もなく無難な存在でありたいと思っていたから、その理想の自分を守るためにもとにかく人に馬鹿にされたくなかったのです。

 そうして人に馬鹿にされることを怖がって周囲の評価に怯えて警戒しているうちに、いつの間にか人を尊敬せずに馬鹿にして人生が詰んでました。辛い。ぜひ反面教師に。



■人に馬鹿にされたくない→自分が優れていると思いたい

 人にバカにされたくないという思いは、自分が他人よりも優れた存在であると思いたい故の防衛本能です。自分の未熟な心を社会に晒して優劣をつけられたら、明らかに劣っているのがわかっているから余計に自分を守ろうと身構える。

 本気を見せず、本音を見せず、隠すことで自分の底の浅さを知られないように必死に努力する。隠していれば、その隠した部分については自分は優れた状態であると、言い放つこともできる。

 自分でもわかってる、底の浅さ。だけど、知られたくない。知られてしまえば、自分がいかにみっともなくレベルが低くなんの深みのもない人間かがバレてしまう。それがバレた時、自分が耐えられない。

 隠した本音、実力、これらを見せないことでまだ他人との境界を曖昧にして知ったかぶりで他人と対当であり優れた面も持ち合わせていると安堵したい。


■つまり承認欲求をこじらせている状態

 この根底には、自分が普段家庭や私生活などで承認されない日々を送ってきたことに起因する。家庭で承認されなければ学校生活や社会生活でのちょっとしたストレスに耐性がなくなる。耐性がないから、必死に自分が傷つかないための策を優先する。

 全ては承認の不足から起こる。承認されない心。承認のされ方がわからない。自分を大切にする方法がわからない。自分の心がわからない。自分が壊れていく。


■自分に極端に自信がない

 そうして自分を見失う。自身を失い、自信も失う。これ以上失わないため、もっと時分の心を隠す。誰にも自分を明かさない。そうして「まじクズさんは何考えてるか分からないよね。気持ち悪い」と、いう評価が下される。

 何も語らず、誰とも積極的に接さず、その行動がますます周囲の不信感を煽り、私の評価を下げる。その下がった評価が怖くなり、更に何もできなくなる。何も手札を明かさなくなる。喋るだけ無駄に思えてくる。


■自分の功績に蓋をして悪いところばかりみる

 追い込まれるほど、自分の悪い点ばかりを見るようになる。もっとこの悪い部分を隠した方がいいんじゃないか。この欠点を治すにはどうしたらいいのか。欠点の補修、改修、隠蔽にのみ力が注がれていく。

 私は私の客観的な良さを、見失っていく。


■他人の悪い部分と自分の悪い部分を比較して優越感に浸ろうとする

 自分の悪い部分を見つめてただ落ち込むではなく。その悪い部分を羅列したうえで、どんぐりの背比べよろしく、自分よりも劣ってる他人を見つめて愉悦感を得ようとする。

 あの人は自分よりここが劣ってるからセーフ。この人も劣ってる。セーフ。

 何がセーフなのだかわからないが、とにかく自分よりも劣っている部分を他人に見つけて安堵感を得ようとする。もう、手がつけられない。挙句、自分より劣ってる側面を見つけたら喜々として叩く。他人を攻撃することで自分のアイデンティティを守っている。

 醜い、あまりに醜い。


■マイナスの印象が更に自分をマイナスに引っ張る

 こうして低きを見つめる日々は、自分の心を考え方を習慣を蝕んでいく。人は良いことであろうと悪いことであろうと普段意識しているイメージ自分が引っ張られていく。あいつよりマシ、こいつよりマシ、と思っていた時期が終われば自分も同じ穴の狢となっている。


■そして周りが自分を馬鹿にしているよう思えてくる

 しまいにゃ他人が自分をいつも馬鹿にしているんじゃないかという錯覚まで起こす。普段自分が他人を馬鹿にしながらアイデンティティを保とうとするものだから、他人もそうやって他者を評価してるもんだと思いこんでいく。


■そして誰も私を相手にしなくなる

 もはや他人を尊敬することなどなく、他人とは自分に施すものであり自分よりも優れているか劣っているかのものであり。他人に心を許すことなどなくなる。

 いや、許す時もあるが許すときはとことんまで甘える。普段生きてる世界が地獄のようだから少しでも自分に優しくしてくれる人間にはおんぶにだっこにオシメの換えまで求める。酷い依存を起こす。こうしたどうしようもない人間からは、どんどん人が離れていく。


■人生が詰む

 とにかく詰む。人との関係も何もかも。

 じんせいがこわれる

 じんせいがおわる


■ゼロからもう一度

 人生が一度終わった人間の話ですが、ゼロからもう一度はじめられます。人生はゼロからもう一度はじまります。一度ころんだ人間が言うのも何ですが、転んでからでもなんとかなります。


■他人を見下すのを辞め、尊敬できる部分を探す

 とりあえずまず、これを辞める。もう徹底的に。言葉にしないのはもちろんのこと、頭にも思い浮かべない。もう、そのことを思い浮かべる自分を許さない。

 代わりに、とにかく尊敬できる箇所を見つける。もとからすごい人はもちろんのこと、今まで自分が見下してきた相手すべてに対して尊敬する箇所を見つける。優れた箇所を見つける。


■自分の功績、出来たことを振り返る できなかったことは置いとく

 他人を尊敬したら、自分の尊敬すべき点も洗い出す。過去に遡ってばかりだと「昔は良かった」なんてノスタルジックな思いに打ちひしがれてしまいますから。昨日今日の自分を褒める。

 何でもないことでいい。外でいつもより歩いたとか、昨日よりも数分だけ勉強したとか、健康的に過ごしたとか。なんでも。とにかくなんでもいいから自分を褒める。


■他人のためにまず行動することを心がける

 自分のことを守る考え方というのは、他人のためという考えが一切無いです。しかし人間関係は他人とのつながり前提です。他人とつながるためには互いがまず「他人のため」に行動することによって成り立ちます。

 自分をまず自分で守るという殻から抜け出して、まず他人のために行動する。


■習慣になるまでやりつづける

 自分論を押し付けるのはだめなことだとはわかっては居ますが、私の場合は4年くらい続けましたし今も続けてます。結局この手の考え方はとにかく自分の中に刷り込まないといけません。

 なんせ自分の今までの負の習慣というのは、無意識レベルに刷り込んできたものなわけですから、相殺させるためには数日の努力程度では無理です。でも毎日努力しようと思うのも疲れるのです。とにかく習慣化させるのです。


■比較的マシになるけど、時々負の自分が顔を見せる

 そういうのもあって習慣化を志しているわけですが、それでもたまに疲れた時とか精神の波が来たときはガラっと心の防波堤が崩れてしまいます。それはもう人間は完璧じゃないのだと思って、ある程度は仕方ない、と割り切るしかありません。


■長い人生をかけて、他人を尊敬し、自分のことも尊重できるようにする

 私の周囲には尊敬できる人も反面教師にできる人もいました。やっぱりよくよく観察していると、幸せに過ごしている人は他人への尊敬を怠らない、崩さない人だなと。人間関係は尊敬ありきだなと感じるわけでございます。


■人にたくさん助けてもらう

 こうした習慣を自分に刷り込むには、他人に助けてもらう必要もございます。何事も自分一人で成し遂げるというのは難しいものです。尊敬する人に出会う、他人の尊敬できる箇所を探す、そういうことを続けていれば自然と人は助けてくれるもの。

 その人達の助けを負い目だとか借りだとか思わずに、助けてもらうときは思い切って助けてもらって、その分違う働きで返すようにしましょう。


■最後は自分で自分を助ける

 それで、結局これらって何のためって言えば、巡り巡って全部自分のためになるわけでございます。自分のためにこそ、他人を尊敬する。他人を尊敬し続ければ、自分に対しても尊重しようと接してくれる人ができる。

 その人達が、本当に自分が得意とすること尊敬すること、それらを示してくれます。