人生は常に決断であります。意識的であれ無意識的であれ、人は常に何かの道を選んでいくものです。楽な道と辛い道が見えた時、どちらを選ぶのが良いのか、というとき大抵辛い道を選択すると後々うまくいくんだなぁという感覚があり、それについての理由をいくつか。



■楽な道に慣れると辛さに耐えられなくなる

 楽な道を選び続けると、辛い道がやってきたときに精神が負荷に耐えられなくなります。たまに「どっちを選んでも辛い」みたいな状況が人生にはやってくるもので、普段から辛い道を選んでおくというのは、有事の時に受け身をとれるようにしておく、ということになります。


■辛い道を選ぶ程にキャパが伸びていく

 辛い道は、自分のキャパや伸びしろ以上のもの求められるので、強制的にキャパを引き伸ばされます。人には大小キャパに差がありますが、辛い道を選ぶ程キャパは広がっていきます。筋肉鍛えるのと同じです。


■与えられた辛い道と自分で選ぶ辛い道は別物

 飲食業とかで鬼みたいなスパルタ洗脳研修があったりしますが、辛い道…のように見えるのですが、あれは自分が望んで辛い道を選んだのではなく、辛い拷問のような状況を単に与えられているだけです。

 辛い道は、自分でその道を選ぶことが重要で、他人決められてるのはただの拷問です。

 ちなみに先程のキャパの話ですが、他人に与えられる辛い道ではキャパはあんまり伸びません。我慢する力が少しつくかな、くらいですし、我慢はあんまり良いことありません。


■辛い道に慣れると、楽であることが怖くなる?

 与えられた、押し付けられた辛い道を強いられてきた人は、楽であることが怖くなり、辛い道に自分が行かないと不味いのではないのかと、不安になってしまいます。

 すると辛い道に依存します。というより、辛い道を与えてくれる人に依存します。また、新しいシステムなどを取り入れずレガシーな事にこだわるなども、辛い道への単なる依存です。こうして不幸が連鎖してしまいます。

 本記事で伝えたいのはあくまで自分が主体となって辛い道を行くことにあります。ある意味辛い道を与えてくれる人や環境に依存するというのは、辛い道を選んでいるようで自分で何か決断しているわけではないので、結局楽な道である、という考え方です。


■自分で選択して決断すること自体が、辛い道を行くことである

 人によっては「自分で選択して決断する」ということ自体が辛い道であることもあります。というより多くの人にとってはこれが辛い道になります。自分で選んだからには他人のせいに出来ないし、責任も伴います。

 だからなるべく他人に決めさせたいし、他人を主体にしたくなる。私のような「真面目系クズ」なんてその典型です。(久々につかったこの単語)


■辛い道の先にあるものは何だろう

 結局自己満足の領域なのかもしれませんが、昨日の自分よりも今日はもう少し「自分が今まで難しいなと思っていたことに挑戦できている」という感覚が嬉しいのだと思います。

 その自己満足が自信につながり、仕事につながり、となっていくので結局良いスパイラルになっていくものなのだなと。