なにかあるとすぐに落ち込んでしまう。なんだか自分は打たれ弱い。そういう人は自分の精神的な弱さについて悩んでいるように思います。しかしそれはもしかすると、そんな根性論の話ではなく「最悪の自体」について普段から考えるクセが無いからなのかもしれません。



■自分にとって都合の良いことはそうそう起こらない

 まず、落ち込むということはそれだけ期待しているということですね。期待が大きい程に、うまく行かなかった場合の落ち込みも強くなっていく。

 でもまず考えてもらいたいのが、普段自分にとって理想的な事が起こったのってどれくらいの頻度だったかということでして。おそらくそれってあまり無いと思うのですよね。何かしら妥協点で落ち着いたとか、結果オーライだったとか。

 自分にとって都合の良い事って案外起こらない。


■「最悪な事態」というのも案外起こらない

 自分が普段何かある度に落ち込んでいて、その時に「最悪の事態」についてどれだけ想定しているか。こうなったら嫌だな、程度ではなく。最悪の事態。

 起こったら最悪なことを常にイメージしておいて、その最悪が起こらなかったら儲けものだと思うことにしましょう。

 その言葉や行動によって「相手に良い顔をされないかもしれない」じゃなく「この人と二度と縁が無くなるかもしれない」ぐらいに考えてみる。こうすることで、例え嫌な顔をされたとしても、まぁ悪い方の想像よりは痛手は少ないに。

 何かプレゼンなど苦手なことをやる場合も、失敗というのはどのレベルまでになるのか。

 諸々最悪を想定していくと、最終的には命を落とすことになる。極端だけど、そこまでいったら、死ぬと同程度、それ以上の最悪というのはまず無い。

 もしいつもいつも最悪な事が起こっているのだとしたら、それは最悪の想定が緩いのだと思います。だから、常日頃「自分は打たれ弱いなぁ」とか「いつも悪いことばかりだなぁ」という人は、最悪の事態をイメージするクセを大事にしてみてはどうかと思います。


■危険予知訓練

 危険予知訓練という取り組みはご存知でしょうか。私も知人伝に知っただけではありますが。一枚の工事現場で作業中の人のイラストなどを見ながら、その中で絵の中の人物にどんな危険があるかを数人でディスカッションしながら問題を解決するという訓練です。最悪の事態を想定する、というのは実際に仕事現場においても重要な安全管理能力にあたります。


■自分の危険予知と、過去の振り返り

 なかなか自分の客観視を咄嗟にするというのは難しいかもしれませんが、何か行動を起こす前に、自分が起こしたアクションについてどう最悪の事態が起こるだろうか、について思いを馳せてみたり。

 あるいは過去に起こしたアクションの中で「最悪だなぁ…」と思っていたことの、もっと悪かった時をイメージしてみて「むしろあの程度で済んで幸運だったのかもしれない」と思えるようにしてみたり。

 ようは気の持ちよう、といえばそれまでかもしれませんが。だけど気の持ちようで「落ち込みやすくなる」のか「この程度で済んで良かった」と思えるようになるのか。この差って結構大きかったりします。