突然ですけど私は心がぼっきり折れた事が何回かあります。でも今現在なんとかなってます。心が折れても、意外とのらりくらり生きていけるのだと思います。でも心が折れた時に「そんなこと言われてもなぁ」という意識の高い言葉、難易度の高い言葉に私は何度か出会い、結構嫌な思いをしました。

 だから、心が折れたときの読み物が欲しいなぁなんて思いながら筆をとります。



■逃げても逃げなくてもどっちでも

 よく、辛くなった時の選択肢の提示として
「今逃げたら一生逃げることになる! 逃げるな!」
 と
「逃げたっていいんだよ」

という二択が提示されがちです。でも別にこれはどっちでもいいなーと。逃げるのにもエネルギー必要だし、逃げないにしたってエネルギー使うし。「考えない・選ばない」という惰性だって別にいいんじゃないかなと。

 心が折れたときまで気張って選択なんてしなくていいのですよ。惰性で。惰性で。


■私が頑張らなくたって別の誰かがやってくれる

 心が折れてしんどい、辛い、どうしよう、と思って「いや、でもへこたれている訳にはいかない…なんとかしなきゃ…」と踏ん張ろうとしている人。

 心が折れた時までそんな責任感は果たさなくてもいいのですよ。

 責任感ある人にとっては嫌な言葉だとは思いますが、それでもやっぱり「貴方一人が頑張らなかったところで、組織にも社会にも大した影響は無い」というのが事実です。逆に貴方が倒れたら本当にどうにもならなくなるような組織の場合、それはマネジメントなりなんなりが破綻していますし、そのマネジメントは貴方の責任ではない。会社側の責任。

 頑張った分が自分に明確に返ってくるのがわかっているような自営業なり会社経営なりでもしていないのであれば、まぁ大体誰かがなんとかしてくれる。心が折れた時くらい、誰かの頑張りに任せてしまったって良いのです。


■暴飲暴食その他の消費行動について思ったこと

 さて心が折れると、心のスキマを埋めるために暴飲暴食や激しい消費行動に走りがちです。大体はやってから後悔します。発散さえしてしまえばなんとかなるだろうと考えてのことだと思います。

 ところが心が折れてしまった時というのは、文字通り「折れてる」のです。

 求められているのは「発散」ではなくて「治療」なわけです。だから、いくら発散しようとしたところで、虚しくなる。


■心の治療

 心はどうやって治療するのか? 心が折れるというのは、内発的な動機付けが全く失われてしまった状態であると私は考えております。この時やるといいことって、「新しい刺激に出会うこと」なのですよね。

 映画かもしれない、小説家もしれない、今まで体験してこなかった遊びかもしれない。思いがけない事件かもしれない、運命的な人との出会いかもしれない。心を震わせる「何か」に出会う事が求められます。

 発散とは似て非なるものだと思います。


■人に話を聞いてもらうのは待ったほうが良い

 他人は貴方の落ち込み具合を見て、優しい声をかけてくれるかもしれないし、黙って真剣の話を聞いてくれるかもしれない。でも、時と場合によってはきついお叱りであったり、貴方にとって「有意義なアドバイス」をくれるかもしれない。

 正義感が強く真面目な他人は「貴方のことを思いやって」なんとか良いアドバイスを考え、提示しようとしてくれる。だけど、心が折れた時には「良いアドバイス」なんてものは実はなーんにも無くて、むしろ「自分が辛かった」ということをただ黙って聞いてくれうるような、そんな会話が求められるのです。

 だから、安易に人に話を聞いてもらうのは避けたほうが良いのです。普段良い関係の友だちであっても、いや良い友達だからこそ貴方のためを思ってのアドバイスをして、そしてそのアドバイスによって余計な亀裂が生じてしまうかもしれない。

 心当たりのある人や場所が無いのなら、文字にして書いてもいいし、人形に向かって話しかけるでもいい。ラバーダッキングと呼ばれる手法があるくらいには、自分の言葉にして何かに語りかけるというのは、自分の頭を整頓するのに向いています。


■スマホを放り出そう

 心が折れてしまった時は、変な責務に負われる必要も無い。思いきって1日中スマホを部屋にでも封印し外部情報も切ってしまいましょう。折れた心を治療する時に、わざわざ誰かから連絡が来るかもしれない緊張感や、仕事を思い出すような情報を入れる必要はありません。


■全部ぶん投げた後で、貴方の良心が拾い上げるものに従おう

 頭で考えていることを全部投げ捨てて責任も何もかも投げ捨てて、それでも貴方の心が「これは拾っておかないと駄目だよ」とすくい上げるものが、貴方が本能で大事にしたいと思っているもの。

 心が折れた時、本能に従うことが本当に大切なものなのだと、そう思います。その拾い上げたものを軸に、また折れた心を組み直すのか、それとも新しい道を行くのか。それは、その時の貴方次第。

 全部放り出してから見える、本来の自分に出会うこと。折れた時にこそ一度ゆったりと惰性で頑張らず、時の流れに身を任せてみるのも良いのかもしれません。