まず前提として、私は文章なんて自由に書いたらいいと思ってます。100人居れば100人の個性があって良いと思います。

 だけど、もし少しでも誰かに読んでもらいたいと思うのでしたら、4年近くブログを書いてきた身として個人的に思ったことを残しておいて何かの役に立てればと。



■タイトルが分かりにくいと、何がダメなのか

 クリックされるかどうかなどの話じゃなくて、タイトルが分かりにくい記事って、やっぱり書いてる人自体が定まってないんですよね。

 書きたいように書いたけど、結局この記事は何が言いたかったんだろう?と、モヤモヤするようなこと、文章書いたことある人なら誰でもあると思います。会話ですらそんなことにあると思います。

 主題がはっきりしないまま書き始めると、大体着地点が有耶無耶になって、モヤっとして終わります。

 例えば私の昨日の記事とかも、主題がブレたままとりあえず頭のなかにあるものを吐き出しちゃおうーという趣旨で書いたのですが、やっぱり着地点がモヤっとしたまま終わってしまいました。あれは良くない例です。

 まずはタイトルを明確に定めるところからです。タイトルが決まらないと、もや~っとしたまま進みます。


■先に要点を書いて、各項目を徐々に掘り下げる

 タイトルを決めたら次に要点です。仮にタイトルを「気分が落ち込んだ時に意識していること」とします。要点もまた、各項の着地点を決める上で重要です。
  • 笑顔を作る
  • 動画サイトで笑える映像を見る
  • 楽しい人達が集まっている場所に行く
  • 落ち込んだ自分を放置すると、落ち込み続けるから気をつける
 こんな感じです。これで記事の要点作りができました。あとはこの要点について考えていることを埋め込んでいくことで、主題や各項の内容がブレることなく書き進められていくと思います。


■文章を読ませるには、「呼吸」が大事

 最近私は、又吉直樹さんの「夜を乗り越える」という本を読んでいました。又吉さんの文章は、読む人読む人が「こんなに読みやすい文章にはあまり出会ったことがない」というような感想が出るように、本当に読みやすい。

 それは、呼んでいる側が普段耳にしている言葉で極力文章が校正されているとかもありますし、意図的に漢字で文章が重くならようにしていたり、また句点の間隔が短かったり。

 これを一言で表すと、私は「呼吸」がとても意識されている文章だと思いました。本来人間が普通に喋っていて違和感の無い、文章の区切り。

 ネット上にも驚くほど沢山のモノ書きさんが居ます。その中にも、行間が極端に詰まっていたりやたら小難しい専門用語が書いていたりなどしていても、何故か読ませてしまう文章を書く人が居ます。

 これらはやっぱり「呼吸」を無意識なり意識的なりに文章に込めていると感じます。憲法とか人間が読むことを全く想定していないような「文字の羅列」ですよね。何も意識しないで文章を書くと、案外似たような事をやってしまいがちなのです。


■何かを持ち帰らせる意識

 知識でも笑いでも驚きでも空腹感でも。人に何かを与えて帰らせようとする文章というのは、やっぱり読まれやすいなと感じます。

 私のブログの過去の恥さらしを暴露する記事にしても、それによって反面教師としての気持ちや、共感の気持ちを持ち帰ってくれる人が多いみたいです。

 意識してすぐ出来る類ではないかもしれませんが、何かを持ち帰らせる意識というのは人に文章を読んでもらう上で常に心の片隅に置いておくのが良いんだと思います。


■どの道にも通じること

 会話にもデザインにも商売にも何でも共通する考え方で、文章だけが別に特別なものなのではないと思います。逆に言えば文章からでもこうした考え方が定まることで、自然と他分野でも「人に意識してもらう」という姿勢が出来るのかなと、そう思うのでした。

 というわけで文章を書くというのは割と役に立つ事もあるのだなぁ、なんてしみじみ思うのでした。もっと読みやすい文章を書けるようになりたいなと思います。