人は、不確定要素を何らかの方法で自分で穴埋めします。中途半端に画像の何箇所かが消えてたら、なんとなくこんな全体像かなーボヤーっと思い浮かべたりしますよね。

 人に対する印象も、例えば少しダメな印象を引きずったまま何日も何週間もその人と会わなければ、最後の印象をベース、他の足りない箇所を埋めていきます。そうして極端にマイナス印象の架空の他人のイメージが出来上がってしまったりする。

 しかも「分からないこと」に対しては人間はつい警戒をするから悪い印象にしがちなんですね。性格の問題じゃなくこれはもう動物としての危機管理能力なんだと思います。


■インターネット上の炎上や叩き

 特に顔の見えない他人同士が行き交うネット上では、日々断片的な偏った情報が飛び交っております。別に思想の偏りとかじゃないです。主張や悩みなどが飛び交いながらも、それはあくまでその人の日常の一部や性格や考え方の一部を切り抜いただけのものなのです。

 ところがその意見が変に偏っていたりすると、炎上したり叩かれたりします。現実では流石にこんな些細なことでは炎上は起こりません。話の文脈に前後があるし、人となりだってある程度分かるから。


■各々の背景なんて想像してもらえない

 最近だと匿名日記で、妻が旦那の常軌を逸した行動に対してどうしたらいいか困っている趣旨の記事が上がっていて、それに対して「そんな夫と結婚したのがおかしい」とか「夫を晒し者にしてるお前の神経がおかしい」なんて意見が飛び交うわけです。

 吐き出す場所がないからどうしようかと悩みを吐露したら、いきなり手斧が飛んでくるわけです。顔も見たこともない相手になんでこんなこと言えるのだろうと思います。怖い。



■発言は、切り取られていく

 つまりネット上の炎上やら叩きというのは極端に少ない断片的で文脈のない単体の論説を呼んだ結果として、起こりやすいわけですね。ファミレスで何気なく話してたような内容でも切り取れば十分炎上ネタになってしまったりするわけです。

 似たようなものであれば政治家等々テレビに出演する人の言葉を故意に切り取って印象操作を誘導するようなやり口もあります。ネットの片隅のような所でなく、非常に影響力のある立場にある組織がこうした発信をするのは珍しくありません。

 おじいちゃんおばあちゃん世代は「テレビなんて見てるとバカになるぞ」と言ってましたが、正しさを感じる所。坂の上の雲でも、己の意見も定まらぬうちに新聞なんて読むな、みたいな事を言うシーンがありますが、正しさ。切り取られた情報から

 ここまでは情報媒体としての断片性について。情報媒体は本当に情報が断片的だから、比較的ネガティブなものが広まりやすいと思うわけです。


■親しい人との間でも起こる問題

 次に、本題ですが。面と向かった人同士の関係性について。でもこれも結局同じようなことが言えてしまって。距離の近しい人とは普段から密接なやりとりをしますから、多少変な一言が出た所で「あぁ調子悪いのかな」とか「まぁこういう面もある人間だ」くらいの割り切りがききます。

 しかし初対面とかあんまり絡みのない人間、つまり距離感のある人。こうした人には、その変な一言が袂を分かつようなクリティカルな一言になってしまったり、疑念を生んだり邪推をさせたりするような事になってしまったり。あぁ人間関係って本当に大変…。


■会話下手、伝え下手が損する仕組み

 この距離感を、会話が何かと上手な人は、切り抜ける。簡潔に自分が思っていること必要な情報分伝え、相手の話を聞く能力のある人。

 そこでやり玉に上がるのがどうしても「会話下手」な人。自分のことしか喋らず相手と会話しようとしない人や、他人に対する説明を始めから諦めている人(自分で人生のハードルを上げちゃう人)。特に後者は誤解されやすい。

 大した喋りもせずに断片情報だけを振りまいて、相手が邪推せざるを得ないような状況を作り出しているのに気づいていな人も居ます(はい私です) それはとっても付き合う側からしたらしんどいし、何考えてるか分からないから防衛本能として良からぬことを考えているんじゃないかと警戒する。


■せめて伝える努力は怠ったらいけないのだろうと思う

 だから会話下手は何かと損してしまう。特に話さない人、話すのが億劫な人は。つらい。くぅぅ。でもついつい距離の遠い人に対するあらぬ邪推をするのが人間の性質なのだと考えるなら、仕方ない。正すところは正して回る必要があるのでしょう。

 そんなわけで、会話下手とか伝え下手はやっぱり色々損するようになってるなぁ、なんて事を思ってしまうのでした。なので、下手でもしっかり伝えることは伝えないとならんのだよなぁ、って最近は本当に思うのでした。