20170209_1


 大人になってからこそ、一人の趣味に興じる人が結構居るし、むしろ一人の時間を有意義に活用している人がたくさん居ることを知りました。なんだ、一人って別に恥じることでも何でもないのだな思えたわけでした。しかし学生時代も同じようなことを考えていたのですがその時は奇異の視線にさらされて大変でした。



■仲間、友情、絆

 学生時代というのは往々にして派閥が必ず生まれるものです。学生のころだけだと思っていたら社会に出てからがむしろ本番でした。学生時代と社会に出てからで違うのは、学生時代は利害関係が友情や絆などの要素であること。社会に出てからはビジネスとしての利害。

 なので一般的には社会に出てからの友人というのはなかなか得られないものだと言われております。私もそう思います。社会に出ると自分の名前にプラスして「何が出来るか」「どんな組織にいるか」というステータスがついてまわります。

 一方で学生時代の友人というのは生涯の付き合いになる人が見つかりやすいと言われています。社会に出てからの利害ではない、もう少し人間の根っこに踏み込んだ人間関係が形成されやすく、また若い時代の思い出を共有するからです。なので社会に出てからもビジネスとしての利害ではない関係から、特別な関係として維持されやすいです。

 そんなわけで社会人になった人は口々に言うわけです。「学生時代に友達はしっかり作っておきなさい」と。どうしても学生時代と社会人からの人間関係の質は違うのです。

 さて私はと言えば、学生時代にはあまり積極的な友人関係を作らず、当時から一人で本を読みふけったり、捜索に興じたり、ゲームをだらだらやったり、と見事に人間関係の構築をしてきませんでした。

 当時の私は、学生時代と社会人になってからの人間関係の差をあまり感じておりませんでした。悪く言えば、人間関係はどうでも良いと思っていました。ただ、本当に一人の時間がたまらなく好きでした。幼少期に自分の時間を振り回され続けた反動が来ていたのかもしれません。


■あいつ、いっつも一人だな(笑)

 クラスから口々に言われました。当時の私はそれが惨めで恥ずかしくて大変つらかったです。友達を積極的に作らないから、人間関係を円滑に行う事が出来ない。出来ないからますます周囲との温度差が出来、また一人になる。

 ついには高校時代、一人の作業に没頭できるだろうと思って美術部に入ったのですが、美術部も派閥合戦があって、さらに部長は才色兼備な万能感あふれる人で皆の信頼も厚く。極力煩わしい人間関係から解放されたかったのに、その先にはまた人間関係がありました。絵の実力どうこうじゃなく、そこにも「仲間・友情・絆」がありました。

 マジかよと落胆しましたが根が変に真面目なので、入ったからには最後まで居ないといけないだろうという変な責任感で出席するだけしてました。迷惑な部員だったと思います。

 どこに居ても「あいつ、いっつも一人だな(笑)」という視線とひそひそとした声が私にまとわりつくのでした。


■一人で得られるもの 失うもの

 そんな一人を延々と過ごした事で、ようやくこの歳になって結局何を得たんだろうかというのを振りかえってみました。周囲と決定的に差を感じるのはやはり人間関係での折衝力や単純な対話能力とか、調整能力などなどです。

 これは社会人として欠損していると致命的に困る場面が多く、悔しい思いをする場面が多々ありますし、感情部分抜きに仕事としての損害を発生させるようなことがあります。そんな時は、普通の人に当たり前に出来る事が全然出来ない自分が無価値に思えてとてもつらい。

 それと並行して自分は何を得たんだろうかと考えて周囲との関係の中で見えてくる事は、幅広い定義で言えば自己解決能力が多分少しばかりほかの人よりは身についていたことです。

 何せ人を頼れないし頼る方法が分からないから、なんでもかんでも自分で勉強して解決しようとする。しないと生きられないから。特に私は腰を学生時代に痛めていたから、絶対にデスクワークだけに人生を絞るぞと学生当時から思っており、そのために出来る事は何でもやろうとしてました。

 でも形になるまでは何も出来ない上にボッチだという大変に辛いに状況なわけでしたから、若かりし自分はこの道が本当に正しいのか、もしかしたら誰よりも間違った道に進んでいるのではないかと悩んでおりました。


■「皆が正しい」という道に成功は無い、と教えられ

 これは私の祖父の言葉なのですが。祖父が子供のころに、皆がAが正解に決まってるよーと言っている中で一人だけBを選んで、Bが正解だったらしく。その時に祖父の中では常に「皆が口をそろえてこっちの道だ、と言ったら絶対違う方向に進む」という考えが染みついたそうな。

 私は子供のころにこの話を聞かされて、すげえ、と思って、じゃあ自分もそうなろうと思ったわけです。まぁその考えがあったから常に真逆を選んだことでどんどん大変な人生を歩むことになってしまうのですが。

しかし周りがやらないことを常にやることを意識していくことでトータルで考えると割と希少性を持った人間になりつつあるなぁとか思います。何をもって自分の中に成功を置くのかでその希少性の価値は変わるのですが。私的には今のところは、人と被らない特性になりつつあるからまぁ良いかなーとか思ってます。


■ステ振りという考え方

 人間の能力というのは、ゲームキャラクターのステータス振りのように非常に合理的だなと思います。ゲームキャラって大体チートでも使わない限りは、何かの能力を手にするかわりに何か不得手なステータスがあります。開発側も人間の特性の本質がわかっているからこそそうしたステータス割り振りをするのでしょう。

 人間が唯一変わらず手にしているのは時間。限られた時間を人間関係の構築方面に対して使うのか、技術の習得に使うのか、お金儲けのために使うのか、何もしない時間に使うのか。

人間は自然と何かに対してステータスを振っています。なので自分の価値基準に疑問が生じた時は、自分の出来なさに目を向けるよりは、自分が何にステータス配分してきたのかというのを考えると良いのだと思います。

 そのステータス振りを見つめなおしたときに、今やっていることがまるで違う領域のことであれば、それは出来なくて当たり前で、こつこつ周りよりも遅れて積み重ねるか、戦う領域を変えて自分がステータスを培ってきた分野を生かせる仕事をするか、というのを考えていくと気持ち楽になります。


■学生時代の自分へ思う事

 やっぱり学生時代の友人関係は何だかんだ続くから、周囲が言うように学生時代の友人関係は大事にした方が良いとは思います。ただ半面、それをやらなかったことで将来的に得られているものもたくさんあるなと。

 価値基準は「友人を作る事が大事」なのではなく、もっと本質的に自分が何を手にしたいと思っているか。友人を作らない代わりに自分は何かを既に得はじめている。でも、友人関係の比重が大きい学生時代は、多分苦しむ。まぁでもそんなものだと思う。それが自分の個性なのだと受け入れて、自分が今進もうとしている道を自分で曇らせない方が良いと思うのです。どんな道に進むにせよ、立ち止まって考え込むことが何よりよろしくないのだと思うのです。

 そんな感じで、行く宛のない言葉をブログでつらつら書き残すなどです。

あせるのはやめました 本日も独りでできるもん
森下 えみこ
メディアファクトリー
2011-04-08