人間同士のもめ事とは様々な理由が挙げられます。ですがそのほとんどが元をたどると「自己重要感」が満たされていないことにより発生するものです。普段から何かと人間関係にトラブルを起こしてしまう人、あるいはそうしたコミュニティに所属しているときはこの重要感について注目してみると良いです。



■どんな人でも自分を大事にされたいと思っている

 人は自分が大事にされていると思えないと、存分に力を発揮できません。自尊心に自己愛、自分を突き動かすためにはこれらの要素がみたされていることが必要です。これを自分だけで満たすことはなかなか難しいのです。

 まして他人が絡んだ時に、自分だけが重要感を満たされていないわけではなく、自分以外の別の人間は満たされているのに自分はその分の平等さを与えられていない。こうした意識の差が、人間関係のもつれとして問題を引き起こしてしまう事につながります。


■「何」を満たされることで自分が大事にされていると思うかは人それぞれ

 人によってはその人に大事に思われるという「気持ち」が大事。人によっては何よりも「自分を重要だと思っているなりの対価であったり、あるいは拘束時間であったり。子供であれば、自分の意見が尊重されることであったり。

 その時、その立場、その人の人生の歩み、経済状況等によって、その人が何をもって自分が重要に扱われていると感じるかというのはなかなか簡単な答えがありません。

 ただ、人はその基準を相手がみたしてくれないと感じると、反抗的になったりモチベーションを著しく下げたり、去ってしまったりします。


■人に関心を持たない人が他人の自己重要感を軽視し、問題を起こす

 つまり先述してきたことを考えると、「他人に関心を持たない人」が人々の関係に亀裂を発生させ、問題を引き起こす、ということになります。「他人に関心を持たない人」というのは、自分の重要感を満たそうとすることばかり考え、他人も同じようにその場において重要な存在でありたいという気持ちを持っている、ということが想像できない人になります。また、そうした他人の考えを慮る事について手を抜く人。


■他人に関心を持たない人に注意(もちろん自分自身も)

 こうして他人に関心を持たない人は、人間関係にたくさんのトラブルを巻き起こします。意見のぶつかり合いなど前向きな衝突ではなく、誰それが気に入らない、とか足を引っ張るような後ろ向きな衝突を生みます。(悲しいことに、案外親子関係でもこの問題はあったりします)

 こうした問題はコミュニティや人間関係に暗い影を落としますので、人の気持ちに関心を持たない人というのは残念ながらあまり生きやすい人生を歩めないということになります。

 周囲にこうして他人の重要感や平等感なんて気にも留めるそぶりも無いまま、自分の満足感の話しかしないような人が居るのでしたらトラブルの種を常にまき散らしているような存在なので、敬遠した方が身のためということになります。

 一方で自分自身がそうなっているようでしたら、敬遠されて仕方ないのだと思った方が良いです。自分が満足な扱いを受けたいからこそ、他人をまず大事にして、そして様々な側面から平等性が崩れていないか気にかける。

 他人に関心を向け、大事に扱うクセをつければ、自然と自分自身も周囲に大事にされていきます。自分が重要視されないことに不平不満しか感じなく時分の主張だけを声高に叫ぶならば、行く先は険しいものと覚悟した方が良いです。

 繰り返し、どんな人も「自分が大事にされている、重要に思ってもらえている」ということ何よりも大切に考えております。だから、そうした人間本来の欲求についていつでも考えている人の周りにはいさかいは起きにくいです。この原理を軽視する人は常にトラブルを持ち込みます。周囲や自分自身を一度振り返ってみると良いかもしれません。