20170203_1


人の目線が怖くて仕方ない時期があり、そしていまは別にどうでもいいかなと思うようになり。これは心が麻痺したのか開き直ったのかそれとも何か方法があったのか。経緯とともに書いてみることに。




■分かりやすいきっかけ

高知から東京をディスっているプロブロガーの人、私も何年か前は結構良いこと言うなーとか思ってる時期もありまして。その人の話の中で私にとても突き刺さった一言があって、今でも大事に思っている言葉があります。

それが「世の中の99%の人は貴方に興味なんて無いですよ」みたいな言葉。

いやそれ以前からも似たようなことは色んな人から言われてたんですが、なぜだかその時の言葉は嫌に自分に突き刺さったのです。


■きっかけを受け入れるまでの下準備

何気ない一言に人生がズバーっと変わってしまったみたいな話は色んな人がよくしますが。「きっかけ」を受け入れるための土壌が自分の中で出来てそれははじめて意味のある言葉として受け入れられたりするのですよね。

だから何気ない言葉に衝撃を受けるというのはあくまで自分の変化があってこそだから、万人に同じ言葉が突き刺さるというのはなかなか無いことなのですね。脱線。

それでこの人からの視線を極度に恐れていた自分の状態ってどうやって段階的な変化があったのだろうというのを考えました。


■変化までの話

インターネット文化が広まる前は漫画もアニメもゲームもどれ一つとってもオタクの気持ち悪い趣味だったわけでして、私は田舎街の数少ないオタクでした。今の人たちには信じられないと思いますが、大人が漫画を買うのなんて恥であるという風潮でしたから、せいぜい中学生くらいには卒業していないと気持ち悪い奴扱いだったわけです。

しかし私は何せ漫画もゲームも大好きだったから、どうにか身を隠しながらそれらに打ち込みましたし趣味で絵を書くなりゲームを作るなりもしてました(といってもツクールですけど)。

あとは親が離婚してるとか家庭環境もかなり当時の私には辛く複雑で、そこも心底負い目に感じておりました。 その負い目も私を追い詰めておりました。



■本当に気持ち悪い

んで親にも周囲にもそういう趣味の奴は本当に心の底から気持ち悪いから消えてくれみたいなプレッシャーが常にあり、高校のバリバリ進学校だったからそんな趣味に興じてる人たちも殆どおらず、でも好きなものを手放す人生は考えられなかったし、世間は更にオタク趣味全般を叩きのめせみたいな風潮になり、次第に人からとにかく隠れて息を殺して過ごしました。

まぁとはいえ当然隠れられるわけもなく中学時代に既にそうした趣味を楽しむのはバレてましたから、気持ち悪い奴扱いでしたし、中高とも教師にも全員の前で馬鹿にされ、萎縮。萎縮するから更に殴りやすいサンドバックになって「殴っていい相手」として私は無事学生時代を過ごしたわけです。最高ー。


■真面目に目立たず過ごす

そんなことをされて怒るのが普通でしょうけど、怒ったところでそれをダシに更に誹謗中傷を浴びるのは過去に経験済みですから息を殺して真面目に振る舞うわけでした。私の真面目系クズのベースはここから誕生しているような気もします。

なので学生時代は、いかに他人に迷惑をかけず、いかに目立たず、いかに責任を負わず、いかに人と会わず、いかに恥ずかしい思いをしないようにし、いかに人から奇異の目線で見られないようにするか。

毎日一切外で気を緩められず。唯一、一人きりの時間だけが自分の落ち着く時間。人の視線がとにかく怖いからバスや電車で移動中はずっと本を読む。本当は漫画が大好きだけど漫画を読んでいる事でもし誰か顔見知りに見られて何か変な噂を立てられるのが怖いから対して好きでもない文字だけの本を読む。そんな何年もを過ごしたわけでございます。


■仲間に出会えそうと思ったけど

さて、そこから同行の士が居る場へと進学しましたが、その人達は私が住んでた糞田舎に比べれば若い頃から既に仲間を手にし、コミュニティに所属し、趣味を楽しんで生き生きと前に進んでいる人たちで、私は一人疎外感を覚えなんとなく距離を開けて過ごしていました。

またその人達の周囲への配慮しない行いを見ながらなんだか違うなぁと思いつつ一緒にされたくないなぁと思い距離を明けつつ。

そうして総じて私の学生時代は人の視線を常に意識しながらぼっち&ぼっち&ぼっちで幕を閉じました。やったぜ。


■心がしんどい!

社会に出てからも息を殺して仕事をしながら人からの誘いをどうにか避けてとにかく目立たないよう目立たないよう、要領だけは良くすることを考えてなるべく一人の時間で趣味を楽しんで。みたいなのを続けていたらついにダメになってました。心がダメに。

何年生きても、周りの人は楽しそうに生きていて、私は隠れてコソコソ楽しくなく生きてる。つらい。シクシク。悔しい。なんで自分だけこんな辛くて惨めな人生なんだ。悔しい悔しい。


■人との出会いでようやく自分にかけていた呪いが解ける

そんで辛いから外に出て、色んな人に会ってみました。リア充に会うと心が死ぬのは変わらずでしたが、私みたいに趣味をある程度隠したり表に出したりしながらもめちゃくちゃ仕事をしてる人に会う機会が結構増えてきて。

しかもめちゃくちゃ皆楽しそうで。趣味を上手く仕事に活かしていて。でも割り切るところは割り切っていて。普通の社会人としての振る舞いもできて。

すげー世の中には自分のはるか上位互換の人がこんなにも居る。こんなにも要領良く生きている人がいる。自分の趣味の世界の先や、家庭環境の先には暗闇と絶望だけだと思っていたけど、それは単に出会い不足で自分の尺度でしか世の中を見てなかっただけで。

なんというか、私はそういう人たちとの出会いを通してようやく長年の自分自身にかけ続けてきた呪いから解放されていったのでした。


■自惚れと傲慢さに気付き

そうして極めつけの、先程書いた「世の中の人の99%は貴方に興味がない」という言葉がグサっと刺さり。あぁ全部自意識過剰で被害妄想なだけだったなと、もっと自分で自分を楽しませれば良かっただけなんだなと。

ようやくそう思えたとき、いつの間にか人の視線を怖がることが無くなったのでした。


■自分の中の「負い目」が視線の恐怖になっていた

ダラダラどうでもいい私の半生を長々と綴ってしまいましたが。

私が視線を怖く感じていたのは、自分のマイノリティさと社会の風潮が重なり親も誰も味方が居なかったのが重なった結果の産物でした。不安障害とか脳機能の話ではないやつだと思います。

人の目線が怖いというのは結局のところ「負い目」と感じてしまっている部分に対してどうにかして折り合いをつけることが大切なのだと思います。

その解決方法としては、結果的に私がやったことといえば、めっちゃ人に会いまくる、というものでした。あと似たような境遇の人の本を読みまくるとかもやりました。世の中のバランスが変化してきたというのもありますがそれはあんまり関係ないです。上手く生きている人たちといっぱい会うことが何より効果があったと思ってます。


■人の目線を借りると良い

「負い目」は世の中のバランスや周囲との人間関係に生まれるものです。世の中のバランスは自分一人じゃ変化させられませんが、周囲との人間関係はある程度自分の頑張りで変化させられます。

なので、視線の恐怖の原因が「負い目」だと感じているのでしたら、早めにその負い目に折り合いをつけている先駆者たちと会ってその人達からヒントを学ぶというのが良いのだなぁと思います。

そして私からも改めまして。

世間も周囲も貴方に大した興味がないので、他人の視線なんて気にせずもっと伸び伸び楽しんだら良いと思います。