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猫との生活もすっかり半年ほどが過ぎようとしています。猫アレルギーの自分が猫との生活をしているだなんて途方もない違和感だなぁと思っていたのですがいざ始めてみると、なかなかに癒しと発見の毎日です。猫と暮らしで何を得たかというリクエストをいただいていたので、そのアンサーとしての記事にもなります。



■君たちは何を考えてるのだろう、と観察する日々

当たり前ですが猫はにゃーんしか言いません。主張は全部にゃーんです。声色もたまに変えますが、基本はにゃーんでありそれ以上でも以下でもありません。

だから彼らが何を訴えたいのかは声以外にしっぽの様子であったり、おなかを下したり、喉をゴロゴロ鳴らしたりなどです。一緒に暮らすまで知らなかったのですけども、彼らって甘えた時にゴロゴロするだけじゃなく、具合が悪いとき・弱っている時にもゴロゴロするのでね。私最初それを知らなくて、彼らの具合の悪さにしばらく気づけませんでした。

あとは顔の表情も一緒に暮らしているとなかなか見分けられるようになります。機嫌が良さそうな時、緊張している時、怒っているとき。彼らは目つきでも自分の主張を訴えてきます。

これだとただの猫好きの感想になりますね。


■意思疎通が困難な相手と向き合う時、自分ができること

そう、彼らはしゃべりません。いう事も、犬ほどは聞いてくれません。同じ失敗を何度でも何度でも繰り返します。やめてと怒ろうが、彼らの探求心の前には人間の抑制など無駄なのです。

そんな言葉の通じない彼らと過ごすうちに私は「言って通じない相手に対していかなる方法で意思疎通をすべきなのか」ということを考えます。

大それたことではありません。単に、彼らが「いたずしたいな」と思ってしまうものをあらかじめ先回りして片づけてしまうのです。言葉が通じない以上、私たちができることは彼らが未然に「何かやってしまう」危険性を排除するのです。

そんなことは当たり前かもしれません。


■人間同士だって本質として「分かり合うことは極めて困難」という前提に立つ必要性

当たり前かもしれません。が、私たちは同じ人間に対しては「言葉が通じる」あまりにその考えを軽視するようになってしまいがちに感じます。「言えばわかる」とか「同じ人間なんだから言わなくてもそれくらいわかるじゃん」と。

でも、結果それで話がもつれてしまうようなケースも往々にしてあります。

気づいた側が、相手が失敗してしまうリスクを未然に察知して、しゃべるよりも前にもっと打てる手を打っておけば、済んだにも関わらずです。

なので、猫とのやりとりを通して気づくのものどうなのかという話ですが、こうした危機察知よりも先の、そもそも危機が起こらないようにどう手を打つのかという考えが生活全般に身についてきたように感じます。


■猫が心を助けてくれる

生き物が甘えてくる、何かを自分に対して求めてくる環境というのは、心に得も言われぬ充足感を与えてくれます。これは人間同士の生活でも得られるものだと思います。私はこの感覚は、恋愛時にも近しい感情を抱いているような気がしています。

だから一人暮らしでペットを飼うと人間は不要になるなんて言われるのでしょう。この感覚部分が満たされてしまうから。同時に、人間はこの感覚部分が満たされることによりストレスを緩和させるものなんだなぁと改めて思うのであります。


■私にとっての人生の動機付

あとはこの猫たち居るから看取るまではなんとか頑張らないとなぁという使命感としての外発的モチベーションとして自分の心の中に同居してくれたりもします。うーん、生きる活力と考えてもやっぱり動物との暮らしは良い。もっと子供のころから経験したかったと思います。

当ブログに悩みをかかえてやってくる方々にもお勧めしたい半面、今は動物の終生飼育を放棄して保健所に気軽に捨てに行くような意識の方々も居るので安直に「動物はメンタルケアにいいよ」と言って勧めるものでもないよなぁと思います。

ともかく、私のようにメンタル病んでる人には動物との暮らしというのは結構本気で視野に入れていって然るべきものかもしれませんです。

この漫画面白かったのでいずれちゃんと紹介したいところです。
基本は日常エッセイなのですが、当時猫が噛みまくって困ってた頃に、2匹飼いによる猫たちの変化についてが描かれていて、二匹目お迎えの決心をさせてくれた漫画でした。