20170124


父の癇癪
http://anond.hatelabo.jp/20170122133511

ネット上で先日盛り上がっていた話題の記事。内容的には私が語りたい本題とは趣旨がズレるのだけども、癇癪持ちの父に悩まされた匿名の方の記録が淡々と語られておりました。

私のこの記事に少しだけ救われた気持ちになったのです。

と言うと変な話ですよね。どういうことなのかといいますと。



■「理想の家族」が私の心を串刺しにする

私のブログを長く読んで頂いている方は、定期的に私が過去家庭環境があまりよろしくなかった旨をネタにしているのを御覧頂いていると思います。

私の家も、リンク紹介した筆者の家のように育ての親が癇癪持ちでした。どれくらいの癇癪持ちかというと、夫婦喧嘩で「殺してやる」と包丁が飛び出すレベルです。私自身も包丁を突き立てられた事が何度かありました。

悲しいかなそういった環境の元では、周囲の大人も類は友を呼ぶなのかわかりませんが、あまり模倣したいといえるような人とは出会えませんでした。なので小学生ながら本当に心の底から親をはじめ大人に失望したものです。

私自身はそれがとてもトラウマで、おそらく普通の人よりも一線を越える事に対する恐怖心などが強いと思っております。彼らはいつも取り返しのつかないところまで刀を抜いてしまうのです。

さて私の話はいいとして。


■正しさに殺される心

当時私を最も苦しめたのは「家族はこうして温かいものなんだよ」というようなメッセージ性を含む物語であったり報道であったり、学校の友達の両親の優しさなどでした。

私は「良い家庭」を認識する度に、自分の環境がいかに異常で辛いもので、そして恥ずかしいものであるかということを自覚し、誰にも話せずにおりました。苦しいと声を上げることは親に迷惑がかかる。

では事実をありのままに伝えようとしたって、それを誰に相談すればいいのか。周りの大人は誰も信用なんて出来ない。もし仮に自分の親の耳にでも入るようなことがあればこれからの家庭環境は更に最悪なものになってしまう。

だから私は息を殺してただただ耐えるだけの10何年を過ごしたわけでございます。自分の家族はおかしい。理想の家族はもっと違うはずなんだ。こんな恥ずかしい環境、誰にも言えない。つらい。くるしい。


■ネットが心を救ってくれた

インターネットが普及し、私はネットの中に入り浸るようになり。そうしてようやく自分の苦しみが実は顔も名前も知らない人も味わっているのだと、いや私よりももっと酷い事になっている人も居るのだと、そういう人の生の辛い声を聞き、ようやく安堵したのです。

あぁ、私の家だけが異常じゃなかったんだ、と。

それによりじゃあ目の前のことが解決したかと言えば全くそんなことは無く。日々は変わりません。変わりませんが、世の中にはこうして日の目の当たらない辛い話がたくさんあるんだな、と認識できたわけで。ネットの力は本当に強いな―とか思うわけです。

私の話ばかりになってしまいましたが。私はこのようにしてネットの中に、匿名の誰かのプライベートな情報が流れてくるのはとても良いことだと思います。

辛いこと、苦しんでいることを主観で書くと「それはお前が甘い」とか「努力不足」とか「クズ」とか言われたりしますけど、そんなに誰の人生もが正しくあるわけでもなく。


■失敗や恥ももっと沢山発信されるといいなって

正しくあることは良いことだと思うけど、正しくないことで皆もがいている、というのが分かるのって私はすごく大切だと思うのです。それは「正しさ」で心をえぐり取られてきたかつての私がようやく救われたから、という身勝手な意見ではありますけど。

正しいことを言い続ける事だけでは、かえって苦しむ人が居る、という感覚を私は冒頭の記事を通して改めて思い直すのでした。人間は必ず皆正しいわけじゃなくて、たくさん間違って、でもそれでいい。

でも、間違いや恥が綺麗に粛清されて耳障りの良い言葉だけしか流布されなくなってしまうこというのはちょっと違うんじゃないかな、と。そんな風に思うのでした。

うーんとりとめもないですね。

自分や身内の恥や失敗にもネットは寛容であって、その知見が広まったら良いなぁとか思う個人の感想なのでした。あなたの恥や醜態が、誰かの救いになるかもしれないのです。

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)
スーザン・フォワード
講談社
2001-10-18