分かる人にはわかる、分からない人にはまるで分からないかもしれないこの感覚について。

私は「何もしていない」という状態に長年悩まされてきておりました。「何もしない」とはインプットも特にせずただ一日ボーっと、休んだり食べたり漫画読んだりゲームしたり。怠惰に何も考えず消費している状態。

この何もしていない状態について、私は激しい焦燥感を感じながら日々を過ごしていたわけですが。


■何かをしないといけない…

休日、周りを見れば皆が何かしら勉強し、皆が何かしらの経験をし、自分だけがこうして惰眠を貪っている。何かをしなければ、こんなことをやっている場合じゃない。何かをしなければ…。

焦りばかりが生まれるのに肝心な「何か」は全くできない。やらなきゃいけないと分かっているのに、手が動かない。行動しようという気持ちが萎える。

あぁ、堕落してる。まるでダメな人間だ私は…。

焦り焦ってようやく夜になり、何かをやろうとする。休日が残り数時間で終わろうとしている状況。ダメだ、とても数時間程度じゃ終わらない。でも頑張ろう。…うぅ、頭が痛く吐き気がしてきた。こんなに時間があったのに、今まで何をやってたんだ。でも少しでもやった気にならないと、本当にダメになってしまう。あぁぁ、休日が終わっちゃう。鬱だつらい。

翌朝、寝不足だしみんな何か得たようなそんな充実感のあるような顔をしている。自分だけが取り残されている。こんなんじゃ不味いもっと頑張らなければ。何かをしなければ…。


■この焦りのせいでますます自分が追い込まれる

漠然とした焦りが続けば続くほどに、慢性的に気持ちばかりが先走り、その気持ちに現実の自分が全く追いついていないことにまた焦り。理想と現実の乖離が日に日に増していくことにまた焦燥感を覚え。

辛くなってしまった心を休ませるためにまた消費に走る。あーつらい。書いてて胃がキリキリしてきた。


■体や無意識下の要求に従った方が良い

そもそも焦ったところで現実の自分が何かをこなせていないのであれば、それは体や心が摩耗して疲れ切っているということ。もうすでにどこかに限界が来ているという事。ならば。「焦らずに休む」この日を、この時間を体に対して設けてあげることが必要なわけです。

そもそもそのために休日が設けられているわけですから、休日に休む以外の事を持ち込もうとするのはおかしいのです。いや働きたくて勉強したくてそれがもう趣味みたいなもんだから仕方ない、って人はそうすればいいんですけど。

それに対して気持ち的に無理が発生しているならば休日はおとなしく休む。絶対休む。そうやって自分に強いルールを設ける。


■周りと比べたってしょうがない

土日だろうが一年365日仕事やら勉強している人も居ます。もう特性なんでしょう。で、それに自分がなれなかったとしても焦ることはない。皆が同じことできるようになるなんて、そもそも育った環境も先天的な才能も個性すら違うのに無理な話なのでして。

じゃああきらめろという話じゃなく、休日に頑張ろうとしても焦る人間だから、その分オンとオフとを明確に区別して、絶対休む代わりにオンは超絶頑張るみたいな切り替えにしちゃうとかが良いのですよね。ダラダラと日が一日自分を休ませようとしない方が自分に対して失礼ってなもんです。


■特性として考えることもできる

 ようは考え方を変えれば、休日だろうと常に何かしなければならないと思っているような人間であるのだというのを受け入れてしまうという考え方もあります。行動に少しずつでも昇華できるようになっていけば、人が休んでいる間も黙々と前に進んでいくタイプになるのかもしれません。

こう考えると気が楽ですね。心持は出来ているから、あとはすこーしずつでいいから、行動する時間を増やしていくだけ。軌道にさえ乗ってしまえば、あとはなし崩し的に前に進み始めるものです。 


■考えても答えが出ないことは考え続けたからといって答えが出るものじゃない

最後に。この辺もルールを設けると良いと思う話。今回一番大事かもしれない話。

何か解決しなきゃいけないことがあって、でもその方法が漠然として曖昧で全く答えが見つからなくて、それで日々をもやもや過ごしているのだったら。実はそれってとっても無駄で。

今の自分が必死にうんうん唸って考えても答えが出ないものなんて今の自分には答えが無いから他所の刺激を受けるなりしないといけないわけですよ。っていうかそもそも自分には解決不可能だったりする類だったりもして。

だから1時間悩んで答えが出ないなら一度すっぱり忘れる。時間単位か分単位か日単位かは人によって違うかもしれませんが、とにかく「時間」を切る。だららだと自分の首を絞め続けない。

何もしてない焦りに日々追われている人は、この考えを導入してはどうかと思うのでありました。