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善意の無償報酬による地獄とは、善意の塊のような人が善意の元で無償で自分を削って作業やらあらゆることをやってしまった結果、その人の無償報酬がコミュニティ内の基準となってしまう事を言います。私が言ってます。



■善意によりコミュニティ内の無償のハードルが上がる

無償の善意による働きを率先して行う人により、コミュニティ内で「あの人はこれくらいのことをしてくれてるんだから、別の人も同じとは言わないにせよ無償であれやるべきこれやるべき」みたいな空気が生まれ始めます。

また、それを利用して無償の行いに対するハードルを率先してあげようとする人も居ます。

だから深い考え無く、善行の意識によってのみ行われる善意は蔓延するほどに厄介です。何が厄介って、無償の「やって当たり前」の基準が上がることはあれど下がることはないから。上がった基準値に魅力を感じて今いる人たちが所属したり増えたりするので、それらの質をおとすというのはコミュニティ全体の質の低下になるわけです。

本当はそんな基準なんてそもそもなかったはずなのにいつの間に…。お金の絡まないコミュニティはこの状態に陥りやすい。人間は今ある環境に意識していなければすぐに慣れてしまうから。


■善意だから注文も付けづらくなっていく

本来なら報酬が発生してしかるべきような内容の作業もそうした人は前向きな善意でこなしてしまうのだけど、いかんせん善意だから具体的に何がどう悪いなども指摘しづらい。制御ができない。だって善意だから。結果「そこそこの注文・そこそこの我慢」という曖昧な妥協ラインが生まれることに。


■善意のハードルが上がりきる前にやるべきこと

・ルールを明確にする 線引きをする
・報酬を発生させる

善意の人に対して一番必要なのはとにかく早めの線引き。なぜなら善意の人は線引きが無いから、善行を行ってしまっている。何をどの程度求められているか分からないから、やたらとハードルばかり上げる。

善意の人は自分のかけたコスト計算もクオリティバランスも何も考えていない。なぜなら善意だから。善意をこなす自分こそが正義だから。それにより周囲は得をしていると感じている。なぜなら自分は善意を行っているのだから。自分がちゃんと損をして得をつかんでいると思っているから。

善意の人の顧みなさ、これはゼークト組織論で言う所の「無能な働きもの」に相当する。既にご存知の方も居ると思いますが、この組織論では「有能な怠け者」「有能な働き者」「無能な怠け者」「無能な働き者」の四種に人間をおよそ分けており「無能な働き者」は殺すしかないと言っています。

何も考えず、ただただ働き者である自分のことしか考えておらず。その働きは組織を破滅に追いやるのです。

そうならないようにルールを作るしかない。また、報酬を発生させるしかない。小さな額でも、金額を設定してあげないと暴走は止まらない。

善意が周囲の人間全員の首を絞めつける前に。


■自他の利益のバランス

損して得取れという考え方は商いにはある程度つきものな考え方になる。最初は自分の身を少し削ってでも相手に得させることで、結果的に自分の商品を買ってくれるようになると。

しかし善意はその見返りを「善意を行った自分」に対する満足度で埋めてしまう。損だけして終わり。これは周りに居る人間がたまったものではない。その人と同じ基準で自分を見比べられてしまうと、対価を求めづらくなるわ成果は上げなければいけなくなるわ。

だから善意の人の周りには自分の身を削る者同士がいずれ集まるようになる。またその善意を自分に削らせようと利用する人とも引き合う。バランスを取りたい人は離れていく。

そうしていつの間にかコミュニティは「ハードルの高い無償奉仕しまくる人」と「善意に漬かりきって他人を利用するだけの人」によって埋め尽くされる。

…まぁこれは極論ですが。当然調整役は現れるものですからね。


■例として

あるイベントのポスターが無いと困っているコミュニティがありました。その人たちのためにデザインを起こしました。あなたは感謝され、承認欲求が満たされました。あなたは次も、その次もまたデザインしました。

感謝は相変わらずされました。技術も少しずつ伸び、やれる幅も広がりました。あなたの行動を支持し共に身を削って組織を支えようとする人も増えてきました。

ところがあなたのほかにもデザインできる人が何人か入ってきました。その人達の前であなたはなおも無償でデザインを提供します。

さて、コミュニティ内のデザインに対する相対的価値はどんどん下がります。そのうち、あなた以外の人のデザインする人の評判が悪くなりました。どうやら彼らは無償であまりデザインを提供したがらないようです。

コミュニティにはこの時既に、あなたの無償の善意を当人たちも無意識レベルに「当たり前」だと感じ始めてしまい、その「当たり前」をこなせないあなたと同じ類の人を「働き不足」だと感じるようになりました。

なんとなくコミュニティ全体の「無償でやらなきゃいけないハードルそのもの」が上がってしまっていました。

当然いざお金を発生させるような状況になっても手遅れで。あなたが身を削って出してきたクオリティ以下のものには金額は発生しません。あなたがハードルをあげてしまったから。

あなたのハードルに合わせて無償奉仕なんてやってられません。いったいどれだけの時間を使いどれだけのお金と身を削り、あなたやあなたの周囲は無償のハードルを上げてきたのか。
こうなればもう手遅れ。あなたはあなたが上げてきたハードルを身を削りながら維持しなければなりません。周りはあなたの無償の働きに慣れてますから、手を抜いたら何を言われるか分かったものじゃありません(何を勝手な話を、と思うかもしれませんが)

ハードルを自分で下げて周囲を納得させるも、これからは対価を発生させるも、あなたと同等の働きを周りに求めるも、善意で行ってきたことにあなた自身がケリをつけなければなりません。


…。
まぁこれは本当に極端な例ですけど。ようは単に周囲のためだと思って行う善意の先にどんなことが待ち受けているだろうか、と想像を働かせるのは大事だと思うのですよ。。。

いつの間にか無償でやることが当たり前で、無償でやらない奴に不満が募るなんて地獄ですよホント。



■善意の人になってないか自分自身も気を付けたいと思った

他人の様子を見て、最終的に自分が損すりゃまぁいいか、というのって実は自分だけじゃなく色んな人が迷惑こうむってるんですよね。自分だけ損すれば、それでケツを拭いたことになるかというと決してそうではない。このことに早く気づければもっと私の人生も変わったんだろうなぁとか思いつつまぁ過ぎたことは置いといて。

これって仕事でもなんでも言えると思うんですよね…。なんというか、私たちの多くの先輩たちが作ってきた道って「善意で何とかなってた」時代の名残としての道であって、これから私たちが進まなきゃいけない道って、「しっかりと対価を請求する」ことだと思うのですよね。

サビ残とかも「やらされてる」とは言えど対価を請求しない無償奉仕に変わりはないですから。

というわけでもっと対価を正当に対価を請求して、相手にも認識させてそういうのがまかり通る社会にならないと怖いよなぁとか思うのでした。しっかり利益を求めなきゃ。