20161212


極力人に嫌われたり、嫌な印象を持たれたり飽きられてしまったりとかは、特に自分側が相手に対して良く思われたいなと思っている場合には避けたいところ。

しかし常々思うのは。
人は何故接点の少ない他人を簡単に嫌うのか、関心を失うのか。
言葉を選ばなくなるのか。



■接点と印象の関係について

人は接点が多い人間に対しては自然と好印象を抱きやすいものです。

過去に「人は見た目が9割」みたいな本や言葉が流行りました。やや過激な言葉だなとは思いながらも、やっぱり事実だなと思います。

接点の少ない人間は、第一印象が全てであると言っても過言ではありません。姿や立ち振舞、喋る雰囲気、喋る内容。これらがダメだめだと、良い印象を持たれるというのは難しい。


■見た目の印象なんて、何度か話せば覆る

ただ、これは接点が増えることで緩和されるのもまた事実です。「話してみると意外と印象が違った」とかでそこから印象が塗り替えられることもあります。結構ありますよね。意外な面が見えて好きになったり、逆に幻滅してしまったり。

でも、全ての印象が最悪になるだなんてことは無いわけです。一緒に過ごす時間が増えれば良い面も悪い面も見えて、大体フラットにその人と付き合うようになっていくもの。

人との関係て最終的には大嫌いにも大好きにもならないと思います。


■接点が少ない人は、印象によって評価を引きずられる

しかし反対に、距離が離れている、接点が少ない、などの状態で且つ、第一印象やその後の印象、最後に会った時の印象、等々がそこまで良いものではなかった場合。

距離を置いている間に、人というのは他人の印象を自分の頭のなかで増幅させます。

「この前最後に会った時の印象が微妙だった」「最近のやり取りがどうだ」というところから、色々紐付けて勝手に勘ぐり、妄想を膨らませていく。

そうして妄想を膨らませた末に「自分だったらこうするだろうこう思うだろう」というスパイスを加えていき「この人はきっとこうに違いない」という自分の中での「悪い印象の他人」を作り上げていくものです。

特に人と会うのが億劫だと思っている人や、自分が優位に立ちたい人や、時間が足りない人とか疲れてる人とか、なるべく効率的に人間関係を済ませてしまいたい人とか、人間嫌いな人とか、つまりまぁ実際「人と接する億劫さが強い人」全般がこれにあたる。


■人を悪く見てしまう人が悪いのではなく、悪く見なきゃいけない環境が悪いという話

前述のようなことを書いていた手前変な話かもしれませんが。

人と接するのが常に億劫である人というのは実はあまり存在していない、と個人的には思っています。

先に書いたように「疲れている人」など表記したのはまさにそれで、人の人生には必ず波があるものです。

疲れ、寝不足、死別、失恋、失業、いじめ、失敗、喧嘩、等々。人間のモチベーションというのは外部環境にかなりの割合左右される。環境の中でも尚自分の心を強く持つというのは、とてもとてもハードルの高いものであります。

自分がいつでもフラットな状態で居るというのはなかなか難しいことなのです。

だから「人と接する億劫さが強い人」という区切りよりは、どちらかといえば「人と接する億劫さが勝っている状態の時」が正しいものと思います。


■人を嫌うのは、他人を切り離さなきゃいけないくらいに、いっぱいいっぱいだから

もう少し理屈っぽい事を言うと、人は過度にストレスが募っていくことで、ある時「全部一旦切り離す」という事を本能的に行おうとしてしまう。

ある人はどこかに飛び込んだりするし、ある人は突然失踪したりするし、ある人は豹変して全部仕切って全部終わらせてしまったり。

全てを一旦終わらせるためには、相手の気持ちとか希望的観測とかについてはもうどうでも良く、むしろネガティブに思ってしまう事によって遠ざけた方が良いと判断しがちになる。

「きっと自分の事を悪く思っているはずだしそのほうがむしろ都合が良いし」みたいなところまで至ってしまう。これは悪い意味での開き直り。

ところがこれを自覚せず、自分は正常な意思判断のもとに「お前が嫌いだしお前は私のことを嫌だと思っているんだろう」と悪い意味での開き直り状態に入ってしまう人も。落ち着こう、まず、落ち着こう。


■人と会って理解を深めたい状態

本題から逸れましたが。対して「まぁ会ってみないと分からないでしょ」と人に積極的に会おうとする人、人に関心がある人、人が好きな人。

こういう「人と接することに刺激を求めている状態の時」というのは、人間に対して印象付けをしすぎず、会う度に情報を更新する。その上で嫌う時は嫌うし、もう接点を持たないようにしようと判断下す事もまたある。


■すぐに繋がれる世の中と、人の心のズレ

一つ持論としては、遠隔の人とのコミュニケーション方法が非常に多様になったために、他人に対する配慮が失われたと思っています。電話でもメールでもLINEでもなんでも、人とつながろうと思えばすぐに繋がれる。

繋がれるが故に、他人の印象を吟味しない。連絡が少しとれないだけで邪推が始まったりする。相手のペースというのを考慮しない。特に自分が疲れている時程に、相手の生活というものを考えない。


■文字だけのコミュニケーションの難しさ

顔色や声や雰囲気が伝わらない相手には、何かしら感情を読み取るというのは、相当な文才などでない限り難しいなと思っています。

震える文字で「すみません借金のためになんとか100万円を工面したいんです」とインクが途中で滲んでいるような凄まじさを感じる手紙が来たら、こりゃただ事ではないぞと真剣に考えるけど。

メールやLINEとかで同様の文面が来ても。おそらくは「そうなんだ大変だね、頑張ってね」で終わってしまう。だから時間短縮のために有効な手のメール等のメッセージ文化が、かえって伝えたい内容の足を引っ張ってしまう。

だから、単純化したやりとりが必ずしも良い結果をもたらすとは言えず。むしろかえって悪い印象を与えたりもする。

別に反テクノロジーであるとかそういう話ではないです。使い分けだとは思います。でも、人と接する手段が効率的になったが故に、正しく使い分けられないと、お互いに意図せずした溝が生まれる可能性もあるなと。こと、今回のテーマに関しては特に。


■大体の人は、距離が遠い人に対して「悪い印象を持つ」か「そもそも忘れる」

というわけで、話が色々と散らばってしまいましたが。

実際のところ多分「他人を極力フラット目線で見る」という状態で居続ける人というのは少なく、やっぱりその時その時の印象を持ち帰って、次に会う期間がながければ長いほどにその印象を軸に膨らませてしまうもの。

なので、会う時の印象を良いものにしておくこと、普段のやりとりなどもなるべく良い印象に見せておくことが結局は人間関係を円滑に運ぶ上で必要なことだと思います。なんだかんだ見た目。(やっぱり縁が無いなーと思う人に対しては悪めの印象を植え付けておいて、相手側から去ってもらうというやりかたもありますし)

繰り返しの話になりますが、疲れている、気が滅入っている人などは相手に悪い印象を持ちがちであるから、自分が何だかどんな人に対しても悪いイメージを膨らませがちだなと思ったらちょっと一呼吸置いた方が良いと思うし。

逆に周囲の人がいちいち他人に邪推しているなと思ったら、その人は実はとても疲れているのかもしれないし。

■簡単に言うと

…まぁこんなこと考えててもしょうがないので、とりあえず他人と良い関係を続けていくにはまずは「なるべく近くに居るようにする・会う頻度、話を聞く頻度を増やす・好印象持たれる振る舞いに徹する・」などなら始めることなんだなと。逆もまた然り。

と、当たり前のことをこねくり回してああでもないこうでもないと言っているのでした。

100%好かれる1%の習慣
松澤 萬紀
ダイヤモンド社
2013-04-12