気遣いがなければ人間関係は成り立たず、しかし気を使いすぎると自分の主張を通すことが難しくなり。でもどちらかというと私達の普段の生活は「気を利かせたつもりがかえって気を使っていない」というカオス状態になっているような。気遣いって何だっけ。



■気を使えない人の特徴

 相手が思っていること、考えているであろうこと、それらに対して気を回せない人。

「自分が◯◯したら、あの人はきっとこう思うだろう。あの人の目線から考えたらこう思うに違いない」

そういう事柄に目が向かない人。つまり他人の目線から物事を考えられない人。他人の気持ちに寄り添い、共感しようとしない人。(自分をザクザクと刺し殺すようで、とてもつらい)


■気を使える人の特徴

 つまり先述した事柄とは逆に、相手の目線から「これをやったら失礼にあたらないか」「気を悪くしないか」「良い気分になってくれないか」などなどを考えて行動出来る人。


■気を使ったつもりが全く気を使えない人の特徴

 相手の気持に寄り添おうと必死に考え共感しているつもりで気を使っているつもりなのだけど、それはあくまで「自分だったらこう思うだろう→だから相手もこうに違いない」という考え方をしてしまう人。

頑張って相手のことを考えているはずが、頑張りすぎることで視野が狭くなり自分の価値観だけで物事を考えてしまう状態。

この状態が辛いのが、本人は「真面目に相手のことを思っている」と思っているつもりになっている事。だから、その気遣いが結局相手にとっては自己満足にしか捉えられず拒否された場合、激しいショックを受ける。

人間、無意識レベルで思っていることを否定されると大変なショックを受けるものです。でも仕方ない。相手にとって自分のそれは、気遣いではなく自己満足でしかないのだから。


■気遣い出来る人間になりたい…!

 そのためには先述した通り、相手の立場に立って物事考える事になります。


■……無理だ!

 ある人は「相手の気持ちなんて分かるわけないだろ」と、バッサリ切ってしまうなんてこともあります。たしかに究極の所、自分以外の気持ちなんて推し量ることは不可能です。でも、諦めるとそこで何もかも終わってしまいます。


■せめて「自分がされて嫌なこと」を省みることから

 自分がされて嫌なことは何か、多くの人がされて嫌なことは何か、を思い出す所から。趣味の話しだとか上辺の話じゃなくて本質的な部分で。


例えば自分が正しいと思ってやったことを否定されるのは非常に不愉快です。自分の気持ちが尊重されないのなんて誰でも腹が立ちます。

性格や人格部分についての意見も甚だ迷惑な話です。自分で分かっていることをわざわざ指摘されるのは非常にムカツク。何の得にもならない。

他人に自分の事をわかったつもりになられるのも腹が立ちます。「君はこうだと思うよ」と頭ごなしに。

自分が尊重されていないと感じれば、恨み言の一つも出ます。


多くの人が腹立たしく思う、嫌だと思うこと、自分自身も嫌だと思うこと、これらを調べたり省みることは「他人への共感」を知る上で必須です。「他人の事なんてわかんねーよ」と諦めて、こうした基本的な部分までも捨ててしまう人が居ますが、ここだけは人間関係で捨ててはいけない。


■「自分」が中心の考えになってきたら注意

「自分はちゃんと気を使ったのに」
「これだけ気を使ってやってるのに」
「自分ばかり気を使ってる」

いつのまにか自分のことばかり考えるようになっていたら、それは実は全く気を使っている状態ではないと思われ。むしろ周りに気を使われまくっている状態ですらあるかもしれません。


■相手も気を使ってない時が勿論あります

 はい。普段から気を使って頑張ろうとしている人は、周り皆も気を使っているんだろうと思い込みがちです。

使ってないです。断言。

自分の主張を通すには、まとまらない議論を整理するには、時に気を回してなんていられない時もあります。「気を使ってばかりでは何も前に進まない」という場は日々発生してます。


■まとめると

・気を使うには、礼節や手前のマナーも大事だけど、何より相手の気持ちに寄り添い「共感」することが大切。

・ずっと気を使っているつもりなのに上手くいかない人は、知らず「自分の感性からの考え」に重きを置いてしまっている可能性。

・共感は、自分も「周りも」されて嫌なことからまず意識。

・時に気を使っていては前に進まないこともあり、割り切りも大事。そしてそれは周囲も常に行っている。

そんな感じでございました。気遣いって難しい。