20161018


 先日の日記と対比し、今日は人の心を折る方法についての話をまとめる所存でございます。何故かと言えば、普段何気なく人の心の心を無遠慮にベッキベキのボッキボキに折ってくる人が居るから。知らずに「そりゃ心折れたって仕方ないよ」って言葉を投げかけられるも気づかずに自分が悪いと思ってしまっているかもしれないから。また、自分もそうなっている可能性があるから。



■感謝を表明しない人

 「ありがとう」の一言も添えない。普通の生活のやりとりだと、それくらい当たり前にやるのに親子関係とか、仕事関係とか、慣れた関係になったりすると、案外蔑ろにする人が増えてくるんですね。謎い。

中には全く感謝しない系の人も居ますし。本人的には心のなかで感謝していたとしても、口に出して言わなければやってもらって当然と思っているのだと勘違いされる可能性。

人に感謝の表明をしない人からは他人は遠ざかっていきますし、それがもしちゃんと感謝の気持ち自体はあったのだとしたら、本人の思惑とは別に周りからは「あいつありがとうの一言も無い、やってもらって当然だと思ってる人なんだな」って思われてしまいます。

そしてもしそんな人と一緒に居続けると、心折れます。何やっても感謝の言葉一つ無いのですから、疲れます。つらい。


■褒めない・認めない

 とにかく褒めない認めない人も、人の心を折ります。「褒める」と「おだてる」は別物でして、それでもまだ「おだてる」ならまだマシ。

ちなみに褒めるについては、具体的にどことどこが良く、だから素晴らしいのだ、というのを伝えること。これによって人は自分が具体的に何が認められたのかを自覚し、その褒められた部分に対しする自信を持って、邁進していく力を得る。

他方でおだてるは、すごいねかわいいね偉いね頑張ったね、などの何を褒めてるんだかよくわからないけど、とりあえず褒めておけみたいな漠然としたもの、と自分は思ってます。なのでおだてられればまぁ嬉しいというのもあるが、結局それはじゃあ自分の何が良かったのかまでは自覚できず、そのおだてが終了すると不安になる→そしておだてられないと何も出来ない人間に…と、悪い方向で考えるとそうなる。でもそうなる傾向は結構強い。 だからおだてるも本記事とは別ベクトルで危険であったり。

話戻します。ところが、人の心を折る人間は、この辺を全くやりません。誰かの成果などに対してただ注文だけつけるのみ。そんな感じで人の満足感を全く満たそうという気持ちが無く、自分の欲求ばかり述べるだけ。こんな人と一緒に居ると心折れます。ぼっきり。


■裁量を与えない

 仕事でも勉強でも遊びでもなんでもそうですけど、人の裁量、すなわち自分の考えで意思決定し行動する自由、を一切与えない人。こういう人は人の心を折ります。メキメキっと。

何もかも、良いも悪いも全部自分が決めて、人にまったく自由を与えない。人を自分にとって都合の良いロボットやら愛玩動物かなにかと思っている人間。そしてこの手の人は、他人を洗脳する力に長けているのでいくら外から「お前の環境おかしいぞ」と指摘しても無駄です。裁量奪われ尽くした当人が、自分のせいだとか、◯◯さんにはお世話になっているから、とか意味分からない事を言い始めます。

人は自由を極端に奪われると、思考力を失い、今の自分の状況を必死に正当化します。正常化バイアスが働くわけです。「自分だけは大丈夫大丈夫」と。よくある話ですね。

裁量を与えないというのは、、蛇が獲物を締め付け殺すかのごとく、ゆっくりと人の心を蝕みへし折られているという状況なのです。


■一緒の目線に立たない否定

 否定批判は、同じ目線からのものであれば受け止められます。まだ。それでも自信がなかったりすれば受け止めきれなくなりますが。でも、一緒の目線に降りてこない否定というのは本当に深く人の心を折ります

「貴方のこと理解するつもりなんて一ミリもないけど私から見ると貴方のやってること無駄だと思うよ」

同じ目線に立たない否定というのはこういうものです。いや実際年齢離れていたりジェンダー的にどうしても越えられない壁はありますけど、それでも理解を頑張って示すということはできるわけです。

つまり共感の無い否定。これが非常に質が悪い。割とネットの世界には漂っている気がします。ネットは性質上相手の顔も見えないし仕方ないとは思うんですけどね。でも現実の相手と向き合っても尚、全くそこのコミュニケーションを無視し続ける人も居て。それはやっぱり人の心をいともたやすく折ってくるわけです、


■その程度の言葉で折れるのは心が弱いから?

 よく例に出すスタンフォード監獄実験もそうですが、人は大抵環境に染まっていくものです。心がボキボキに折れてしまうな場が完全に作り上げられているのに、その場で実際に折れてしまった人を指差して「はぁ君は心が弱いね。私なんかの頃は」とか平気で言う人が居たり。

心の強弱なんて環境の前では大した差異はありません。誤差です。心の強さというのは心が強くなるように仕組まれた環境に居た人間が手にするもので、でも結局折れる環境に長く浸しておけば心は腐り折れます。心の強弱は折れるのが単に早いか遅いかの違いでしかありません。


■自分の環境は本当に心が折れる環境になっていないか?

 なっていたら、人の心をないがしろにする環境を作ってる人たちが悪いのであって、自分の心の弱さを恥じないこと。可能であれば少しでも抜け出す準備をすること。準備する心すら折られてしまうなら、何も考えずに最後は逃げてしまうことだって考えること。

…というのは無責任な話だと思いますが、でもこのさきのことは結局その当事者の環境によって様々だと思うのですよね。でも誤った環境にあるということを明確に自覚するというのは第一フェーズとして非常に大切なことだと思うのです。

そんなわけで自分の心が折れる環境が用意されていないか、自分の環境を疑ってみて、また自分自身も知らずに誰かの心を折ってしまっていないか振り返ってみるのが良いのではないかと、思う次第でございました。