20161017


 最近頻繁に外に出回るようになり、社内でデザインやら動画制作やらフロントエンドやら諸々やっていたデスクワーカーな自分にとっては未知の人とますます出会う機会が増えてます。さて4年程前の自分などを振り返った時、こんなことはできなかったなぁと思い、自分で自分が不思議である感覚に襲われています。

それは多分、少し自分が傷つくことがあったら、すぐにふさぎ込んでしまっていたから。何か色々な壁が見えた時に、すぐに逃げてしまっていたから。心がすぐに折れてしまっていたから。

だけど最近それが薄れつつあり。はて、何をしたんだろうかと思い、振り返って多分これかなと思うことをピックアップ。



■すぐに心が折れる人は自己愛が強い

 要するにプライドが高い。高いから、傷つくのが怖い。しかもプライド「だけ」が高い。自分の中身が大したこと無いというのが知れ渡るのが怖くて、無駄に自分が傷つくのを恐れる。自意識過剰とも。

→解決法
まず気持ち面での解決。「他人は自分のことになんてさして興味は無い」ということ。
また興味を持たれる人は「何かしら能力がある」とか「発信している」とか「肩書が優れている」とか。

だから上のものを何も満たしていないのに、自分が興味を持たれると思っている方がまず自惚れだという話しになってしまいます。そして何より、大抵の人は「自分に興味を持ってくれてる人」に関心を向けます。だからそれをやらずに自分が傷つくのが怖い怖いほらやっぱり話しかけられなかったどうせ私はダメだ、とかふてくされていては、ますます自分の殻に閉じこもってしまうわけでございます。


■沢山の他人と話す機会を持つ

 折れない心を得るためには、その心を沢山折る必要があります。自分は大した人間ではないという事を思い知る必要があります。また、失敗して人に嫌われる必要などもあります。つまり心に経験値を積ませる必要があります。

そういうことをせずに裏道は無いのか、という事も言われる気がします。が、私も頑張って模索しました。なるべく傷つかないように、と。でもそれっていらん方のプライドを高めるだけであって、ようは「頭でっかち」になるだけでした。

だから適度に学んで、そうして人と沢山会って、あぁやっぱり学んだことは間違ってなかったんだなぁ、というのを実証しました。

大切なのは「頭でっかち」ではダメだということ。でも、学びを行わないまま闇雲に表に向かうだけでは、心が摩耗してしまうというのも実感。自分が今何故傷ついているのか、今回の失敗は何だったか、こういうのを考える時に知識が無いままに狭い了見で捉えてしまうと、大抵間違った方向に行きます。

適度に学び、適度に実践。


■頑張ってる人の姿を見る

 自分と同じような立場とか、もっと苦しい立場でそれでも頑張っている人の姿を見る。できれば話す。(ちなみに自分と同じような立場で心折られている人を見るのはダメですそっちに引っ張られます)

「あの人が出来るなら私も」って思うことは別に悪いことじゃないのです。


■「こんな自分だからこそ」と、自分の見方を変える

 私はとにかく自分が傷つきたくない一心からの「どうせこんな自分だし」でいろんなことを諦める理由探しをしていました。人と満足に話せないのも「どうせ自分は自分は」と。失敗した時も「やっぱり今回もダメだったなぁ」と。

しかし考え方を変えて「出来ないことは少し頑張ったくらいじゃすぐに出来るようにならないから、こういう自分だからこそ出来る精一杯をやればまぁいいんじゃないかなぁ」と考えるように。

・心折れる考え方→全部完璧にやろう→やっぱりダメだった
・心折れない考え方→出来ることをまずやろう→いつも通り出来た少し頑張れた


■まとめ

 自分から他人に興味を持たない限り他人は興味持ってくれないから、それをやらずに自分で相手への期待値高めてからの裏切られ心折れるのは意味ない。自分から積極的に興味持って行くしか無さ。あとは誰もが興味持つ何かを修得しておくと良さ。

結局ある程度メンタルのタフネスさを手に入れるには出会いが必須。ただしメンタル面での勉強も忘れずに。それやらず傷つきやすいくせに人に会ってばかりだと心が死ぬ可能性。

頑張ってる人は追いかけよう。できれば話そう。

何でもかんでも上手くやろうとせず、まずは自分の出来ることをまず頑張ろう。

そんな感じでした!