20161013


 親がコミュ障であれば子もまたコミュ障になると言われております。どんな人も成人、経済的独立を果たすまでは基本的には一番生活の中心に居るのは親ですから。「親の顔が見てみたい」なんて言葉もありますが、実際親を見れば子のこともある程度分かったり。

さて子側には本当に迷惑な話ですが、親のコミュ障に子は巻き込まれます。




■「子供なんだから」でコミュニケーションに手を抜く親や上司

 これは非常に悪しき習慣だと思っているのですが、親の言うことなんだから聞けとか、上司の言うことなんだから聞けとか、そういう類の「上の人間だから下にあたる人間は黙って言うことを聞け、言われないでも理解を示せ」という一方通行な手抜きコミュニケーションが一部には蔓延しております。 未だにこうした古い体質の上司って居るのかなどうなのかな。

そもそも上司だろうが親だろうが人間同士であるわけで、片方が一方的にコミュニケーションをサボっているのは明確なのに、それを「上の人間はやって当然」みたいになっているからおかしなことになる。やって当然じゃなく「コミュニケーションサボるから代わりにこれをやるよ」というのを明示するのも含めてコミュニケーションなわけでありまして。

そしてこれ「子供なんだから」で済ませたって、子供側は親から基本的に学ぶ。親がいつまでもコミュニケーションを「子供なんだから」でおざなりにしていれば、子供は当然それ相応のコミュニケーションスキルしか磨かれなくなる。自分で学べなんて残酷な話です。モデルにするための身近な人のコミュニケーションが絶望的なまでにヘタクソなのですから・・・。


■実例

 私は友達が少ないしこういう話を周囲とそんなにするわけではなく取材対象も少ないので、やっぱり自分の体験がベースになってしまうのですが。私の親って基本的に何か要件があると、本当に要件だけしか言わなかったりするんですね。

「週末そっち遊びに行くわ」とか、それだけがLINEで送られてくるわけです。普通に気心の知れた友達同士でだって「急なんだけど、今週末そっちに遊びに行くことになって、会う時間とかあったりする?」みたいな最低限のこと書きますよね。全部無いんですよウチは。要件さえ言えばあとはこっちが何か聞くんだろう、という構えなわけです。

そんな状態の人と高校卒業するまでずっと暮らしていると、どうなるか。そりゃそのコミュニケーションを学ぶわけですから、自分も「必要最低限の事言えば勝手に相手が汲み取るものだろ、というか自分はそうしてきたんだしむしろ、それをやらない周囲が悪い。っていうか必要以上のこと語るのが変」みたいな洗脳されてしまいますよね。

別に自分悪くない親が悪いとか、そういうことを言いたいわけじゃなく。健全なコミュニケーションをとるための空間に、多感な時期に居れなかった、健全なコミュニケーションを体験できなかった、というのは将来において非常に大きなハンディになります。っていうか実際なりました。ならなきゃ書かない。


■自分のコミュニケーション能力を疑う前に親や周囲のコミュニケーション能力を疑うこと

 健全なコミュニケーションて何だと言えば、円滑なキャッチボール。お互いが相手の望む言葉を考え、答えやすい言葉を投げかけ、何度も聞き返さなくても済むような会話を心がけ、みたいなやりとり。別に話術が優れてるとか、勉強してるから語彙力が凄いとかはどうでもいいわけですねコミュニケーションにおいては。聞いて、話して、聞いて、話して、が当たり前に出来る能力。

さて、これが出来ない自分を責めることは簡単。でも、自分ばかり責めることはなく。周りだって出来ていないかもしれない。自分のコミュ力に自信の無い人はすぐに自分を責める方向に傾倒しがちです。

「あの人の言ってることをすぐに理解できない自分が悪い」「上手く伝えられない自分が悪い」本当に?

「本当にその人は、貴方に分かりやすい説明をしている?」 「本当にその人は、貴方の話を聞いてくれてる?」

円滑なコミュニケーションを心がけるには自分を疑う事は勿論大事ではあるものの、他人だって上手くやれていないことも考える必要がございます。じゃないと、自分ばっかり悪い悪いだったら、最終的には「何でも自分が悪いせい」になってしまいます。それでは悪い意味でのお人好しです。互いが責任持って生きてるんですから、自分だけが悪いだなんて状況は絶対にあり得ない。


■私が選んだのはコミュ力の低い人から離れる事だった

 嫌で嫌でたまらなかったから、逃げたというのが正解ですが。コミュ力が低いのに「自分の社会的立ち位置」などから、上の人、親とか上司にダメ出しされた時は本当に自分の出来なさばかりに目がいき、辛く苦しく消えてしまいたかった。なのでその人達の前から消え、別の人たちと付き合うことにした。

そうして客観的な意見をもらったり、すこしずつ自分自身でも振り返りながらようやくその異常な環境に自分が居たことを理解し、ゾッとしました。コミュニケーションをサボるコミュニティは、必死にコミュニケーションをしようとする人間が精神的に搾取される構造です。とても恐ろしい。

繰り返し、コミュニケーションを軽視しサボるコミュニティーに所属しながら、自分の不甲斐なさに食いているのでしたら今すぐそこから離れるべきです。だからこそ、自分のコミュニケーションが何かうまくいかないと思ったときは、「自分のせい」以外のところから客観的に状況を評価する能力を身に着けておかなければなりません。

「自分が悪い」は本当に自分の首を締めるだけで、自分だけが苦しくなるだけです。くれぐれもご注意を…。