人間のやる気には、内発的モチベーションと、外発的モチベーションの二種があるとされています。

内発的動機は、自分が行動する必要性を自分に対して与えるものです。すごく簡単に言えば「やりたいからやる」というモチベーションのあり方。

一方で外発的動機は、自分が行動する必要性を外部から与えられるものです。例えば「仕事」に関して言えば、「お金」を理由にして働く人は大多数です。例え多少やりたくないことであっても「お金」という外発的モチベーションのおかげでなんとかなるわけですね。

さて本題。人の「やる気を奪う」というのは意識的戦略的に用いている人は少ないと思われ、「よかれと思って」とか「そんなつもりじゃなかったのに」というの多いように思われます。

人のモチベーション管理というのは、特にマネジメント業がすべきという考え方が強いように思いますが、どんな立場であれ相手の気持ちをある程度慮るのは当たり前の所作であるものですから、是非是非気づかないうちに自分もいつの間にか誰かのやる気を奪っていないかについて振り返ってみていただければと存じます。



■内発的モチベーションを潰す「やったって無駄だよ」系統の言葉

 さて好きでやっていることについて水を注されるのは人間かなり嫌な気持ちが芽生えるものでありまして。そうして萎えた人対しては「他人にとやかく言われた程度でお前の『好き』は萎えるのかうんだらかんだら」みたいなお説教をする人も居ます。が、皆が皆強いわけじゃなく。「好きなものを好きでいる」ことにも強さみたいなものもあるわけでございます。

「やったって無駄だよ」なんて酷い言葉、誰が言うんだよという話かもしれませんが、遠回しにでもそうした表現はいくらでも出来るわけで、些細な言葉選びから注意を払う必要はあると思います。例えば。

「貴方がやらなくても誰かがやってくれるから大丈夫だよ」
「◯◯さんを見習うといいよ」
「それは何かやる意味あるの?」
「◯◯よりもこっちをやった方が良いよ」

みたいな感じ。

残念なことに親が自分の視野から、こうして子供の内発的モチベーションを潰すような言葉を投げかけたりすることもあります。大人同士であっても「相手の為を思って厳しくしている」などの理由でモチベーションを潰そうとするような人も見受けられます。

また上記のような言葉を使う人達は往々にして自分のモチベーションの低さを正当化するために周囲に対して同意を求める上でこうした発言をする傾向もあります。でも他人は他人、自分は自分ですから、巻き込まれないように注意が必要です。


■自己決定感が失われる不味さ

 内発的モチベーションは上手く養われないと、将来的に自分のやること為すことに自信が持てなくなり、やる気を出すことができなくなってしまいます。これは最近話題にしている「自己肯定感」の喪失につながります。

また、主に内発的モチベーションについては「自己決定感」喪失というものにつながります。これは自分が行う事が自分の決定によるものであると認知する力であります。この認知がされることにより、人は自分で決断したことにおいて力を発揮することができます。

しかし成長過程で内発的モチベーションを潰されてきた人は、自分で決断することが難しく意思決定を他人に委ねたり、自分が正しいと思っている行動に全く踏み切れなかったり、自己決定感の喪失は実生活にかなりの負担を与えます。

また、別に成長過程じゃなくても、社会人だろうとやること為すこと全て否定され続ければ、自己決定感は容易に失わせることが出来ます。昔からの悪習(と、私個人は思っている)俺様系の上司が「俺の言うことに従え勝手なことするんじゃねえお前のやることは全部間違ってるんだよ」と抑えつけ続けることによって、その人のモチベーションを下げるどころか人生に大きな欠陥を生じさせてしまったりなんかも。恐ろしい恐ろしい。
(そして概ねこういう上司は最後に「お前は本当に自分で何も出来ない使えねーやつだな」なんてとどめを刺してくるわけで恐ろしさ)

内発的モチベーションとしてのやる気を失わせるのはようするに「その人が良かれと思ってやっていることを片っ端から否定すること」になります。そしてこれは例え発信側が善意のつもりであっても、言葉選び次第ではそうなってしまう、という具合の悪さがあります。良かれと思って「言ってあげてる」つもりの普段の言葉に少し一拍置くことは大切です。


■外発的モチベーション潰しについて

 外発的モチベーションは自分に対して何らかの報酬が発生するから、やるぞ~!となる状態になりますね。だからこっちは比較的簡単で、その報酬を与えない事がやる気を潰す手段となります。何かお手伝いをして感謝されないとか、給料が下がるとか、楽しみにしていた予定が当日キャンセルにされたとか。期待していたものが貰えないことによる喪失感を与える事が、外発的なモチベーション潰しとなります。


■内発的モチベーションを育てる必要性

 特に内発的モチベーションが低いは、外発的な部分にモチベーションを頼りがちですが、これらは自分の期待感に相手が正確に応えられない場合に大きな喪失感を味わいます。そして往々にして相手が自分の期待感に応えてくれるという事はありません。あったとしても、その欲求は徐々にエスカレートしてきます。

無意識に外発的モチベーションに頼り切ることによって、誰に対しても求める理想像のレベルが上がってしまい、次第に何に対しても満足感を得られることがなくなってしまいます。


■外発的モチベーションにも良さは有る

 外発的モチベーションにも良い面だって勿論あります。実際に与えられる栄誉や報酬などが世間的に見ても明らかに素晴らしいものである場合。これは自分の期待感が裏切られることは少ないでしょう。どんなに想像したって、実際に体験してみないとわからないような興奮が待っているかもしれない。そういう外発的モチベーションであれば自らを大きく成長させてくれます。

例えば自分が金メダルとった時の感動とか周りの声援とかなんて絶対想像しようがないですよね。どれだけ言葉にされ映像に残されていたとしても、そこにたどり着いた者しか味わえないもの。こういった高次の外発的モチベーションをエサに自分を突き動かすというのはアリな自己マネジメントだと思います。


■内発的モチベーションを養うには

 生活において内発的モチベーションは必須であります。そしてそれを助けるための「自己決定感」これをどう養ったらいいのか。

実際の所、これは社会的な接点の中で「自分の決断を評価してくれる人」に出会う事が大切になってきます。残念ながら一人で解決が出来ない問題です。グループワークトレーニングなどによって解決を試みる人も居れば、パートナーが応援してくれる場合などもあります。

また自己肯定感の記事ともダブりますが、自分が決定してきたことを振り返る素材を作ること。日記なりログなりで簡易的にも記録に残し、自分が選んできた事を客観視できる環境を作ること。これが大切であったりします。


■まとめ モチベ下げる人と一緒に居る危険性

 内発的モチベーションが低いと感じるのであれば、それは今居る環境について疑いの目を向けてみる事です。自分が決断する何かについて「否定の言葉がすぐに飛び交う」ような条件に身をおいているのであれば、原因はそこにあります。何かやろうとしていることが正しいかどうかなんて本当の意味では誰にも分からないんですよ。だから他人のやることを否定するというのは単に「相手をコントロールしたい」というものなんですね。

「人に否定されたくらいじゃ折れない心」なんて普通の人は持ち合わせてません。「折れない心」というのは昔から自尊心を育まれてきた人間であったり、大きな挫折や屈辱などを味わった人間が深い憎悪や執着などにより得るものです。普通の人間は「やる気を失うような事を言われればやる気は無くなる」のです。

だから、気軽に誰かに挫折を味あわせようとしている人からは離れるべきだし、自分がそうした言葉を用いていないかにも気をつけた方がいいし。また、自分は普通の人間でそこまで強い心は持っていないというのも自覚すべきであると思います。

そんなわけでモチベーション管理って簡単なことじゃないんですよね。とてもむずかしい。人の心はとてもむずかしい。難しいから、一生懸命向き合わないとならない。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ
エドワード・L. デシ
新曜社
1999-06-10