20160929


 先日、自己肯定感についての記事が回ってきてふんふんと読んでたんですが、なんかモヤっとした感じだったので、自己肯定感の低さゆえ長く苦しんできた立場からちょっと書こうかなと。

 


■自己肯定感とはそもそもなんぞ

 読んで字のごとく。自分が行ってきた事を肯定してあげること。人間とは常に失敗から何かを学び、成長していくものです。例え失敗したとしても、そこで得たモノ、または反省すべきこと、そういう自分の行った全てを認め、肯定してあげる能力です。

このように自己肯定感を持っている人は、何からでも学び、次の成功へ向けて成長するサイクルを手にしています。


■自己肯定感が低いってどういう状態

 自己肯定感が低いと、上記のような成長サイクルが正常に機能しません。少しの失敗でも極端に自分の悪い面や、過去の事をあげつらい、自分で自分の評価を貶めます。

何をやってもダメだ。何をしたって無駄だ。人は変わらない。成長もしない。自分は昔から変わらない。ダメ人間。あぁまた今回もダメだった。つらい。苦しい。どうして生きているんだろう。


■自己肯定感を養うには、自分を肯定してあげること!

以上!









…みたいな感じで区切られるとめちゃくちゃ困るんですよね。だってこちとら、その「自分を肯定する」っていうやりかたがそもそも分からないんですから。

「肉じゃがの作り方が分からない? じゃがいもと玉ねぎと人参と肉を煮れば完成だよ!」

例えるとこんな感じのアバウトさです。
だからしっかりとステップを辿りましょう。


■そもそも自己肯定感の低さは、無くなるものではない

 人間の性格の本質は、残念ながら幼少期に確定します。表面上の性格はいくらでも変えられます。「人は変われる」というのはこの表面上の性格のことを指します。しかし根本は変わらないのです。

故に、大人になって出来ることはまずは「この本質は治らない」ことを理解することになります。そしてその上で、「なるべく自己肯定感の低さが発生しないような仕組み」を自分の人生に構築することが求められます。

中には本気で治ったという人も見かけますが、それは一時的に人生の大きな波の中でハイになっているだけです。あるいは「表面上の価値観が変わった」だけです。

繰り返し、人の本質は幼少期に確定します。治るかどうかの話ではないんです。残酷なことを言えば、自己肯定感の有無で既に人生の進路はある程度決しているとも言えます。

ただ、上っ面はいくらでも変えられる、というのは希望にもなると思います。


■自己肯定の低さは、大抵親など家庭環境に起因する

 自己肯定感の低さを生んだ原因を辿ります。だいたい行き着くのは子供の頃のトラウマとか、自分の記憶さえあやふやな頃の家庭環境などなど様々です。

・正しく褒められてきたか

代表的なのは、自分の指導者にあたる存在。親や教師等が、「褒めてくれなかった・私雨を肯定してくれなかった」ことに行き当たります。褒めるというのはよく「おだてる」と勘違いされがちですが、上手に褒めるというのは「具体的な私の良さ、客観的に評価すること」になります。

例えばテストで80点とったとして、
「偉いね」で済ませるのか。
どれくらい時間がかかったのかとか、勉強はどれくらいしたのかとか、得意な部分と苦手な部分はどこだったのか、とかを聞き、それに対して褒める。

後者の方は子供の頃から、親に様々な自分の長所や欠点等を客観的な視点で教えてもらえるために、早いうちから自分で自分を客観視、すなわちメタ認知する力を養われます。これ故、自己肯定の思考プロセスが備わります。

しかし後者のような単なる「おだて」ばかりで育てば、当人は漠然と「高い点数をとることが良く、褒められる」くらいの認識にしかならず、次第に承認欲求を増長させていくことになります。これは年々「誰かに認めてもらえないと行動できない」みたいな状況を生みます。また、他人の長所短所を評価する考えも養われず、社会生活の生きづらさを産んでしまいます。

・「おだてる教育」の悲哀

ネグレクトと言うと、子供の頃に親が精神的なケアを子供にせずに放置したすることで、心の発達に重篤な影響を及ぼす、みたいなものですが、私的にはこの「おだてるだけ」の教育もそれに類似するんじゃないかと思います。しかも当人間は、その当時は将来に及ぼす影響なんて特に考えないし、幸せなのですから質が悪いと言えます。

そして、当人も「優しい親だったのに申し訳ない。自分が不甲斐ないのが悪いのだ」と、不幸にも自分を責めるに至るのです。だから「おだてるだけ」の教育は、あまりにも、誰も、救われない。

・「物事を別角度から見つめる」

また、パラダイムシフトという、ようは「一つの物事には白黒あらゆる見方があるのだ」という考え方を教わらずに育つと、自分の行いも「良い側面」「悪い側面」両方から見るような癖が身につかず、特に「悪い側面」ばかりを追い求めてしまう傾向にございます。

これも子供の頃から文学に触れるなど、感受性を養う環境に置かれなかった場合に将来こじらせるのです。

以上のように、子供の頃に「心」の面をどれだけ養われたかによって、今の私達があるわけです。何それつらい。

ともあれ、こうしてまず自分の根っこを知ることが大切です。自分は何者であるのか。「どうしてこうなった」のか、を「自分が悪い」から切り離して考えるところから。


■そして今からどうすべきなのか

 これは私がよく提唱するものとして、まず「日記をつけること」になります。自己肯定感が低く、自己評価の低く悩む人間は往々にして実は頑張り屋だったりします。しかし、その頑張った証を残さないが故にすぐに「自分なんてどうせ」とふさぎ込んでしまいます。

・「自分」を記録する

これまでの自分を無かったことにしてしまうのです。だから、日記をつけるのです。日記じゃなくても、「自分がたしかにやってきたこと」を記録に、形に残すのです。

そうして定期的に見つめ直すのです。自分は何者であったのか、と。どういう努力をし、どういう成功をし、どういう失敗をし。またその時どう感じ、何を得、何を失ったのか、と。大切なのは、絶対に悪い点を書いたら良い点を書くこと。良い点の方をむしろ強調する。

・「過去の自分」が支えてくれる

自己肯定感の低い人は、表面上の性格はいくら取り繕えたとしても、ある日何かのきっかけで虚無感に襲われます。恐ろしいまでの「自分の存在価値の無さ」に怯えます。今、この瞬間だけを切り取り、自分が存在する理由の無さ、失敗の数々、ダメな部分。そこばかりに、クローズアップします。

ですが、そうしたときに自分のやってきた証を残しておくこと、過去の自分に今の自分を支えてもらうこと。これが大切なのです。「こんなに頑張ってきたのに、ダメだった」じゃなく「ダメだったけど、私はこれだけ頑張ってきたんだ、これだけ頑張れたんだから、きっと他の事も頑張れるはず」と、思えるような、そういう環境を作るのです。


■メンターの存在の大きさ

 ここでアニメの名前を出すのもアレですが、「Re:ゼロからはじめる異世界生活」という作品内にて、主人公が度重なる失敗の果に自分の現在から過去に至るまで全てを否定するという痛ましい場面が訪れます。その時に、彼に想いを寄せる人物が、彼が彼自身を否定した全てを別の角度から、客観的に愛おしいものであると、諭します。彼はこの言葉により暗闇に沈んだ心から開放されます。なかなかに良い、メンタルケアの構造でした。アニメだと18話。現在AmazonPrimeで無料視聴出来ますので是非是非。




少々脱線。つまり先述しました通り、自己肯定感の低い人にとっては、自分の長所を、他者から見つめてくれる存在が必要になってきます。「自分にとっては短所としか思っていなかったこと」の見つめ方を変えてくれる存在が必要です。一番はパートナーの存在だったりしますが、その他にも、普段の慣れ親しんだコミュニティから抜け出し別の場所に行ってみたり、モノの見方を変えてくれる本とか文学とか映画に触れたり、などなど。

こうした自分にとって、思いもよらない気づきを与えてくれて、自分を調整してくれる存在をメンターといいます。自己肯定感の低い人の人生にとっては無くてはならないもので、まだ見つけられていないのならば、この存在を探すことが極めて重要なことになりますし、これの無いままに闇雲にあれこれ手を出すのは、危険であるように感じます。


■自己肯定感の強い人と一緒にならない

 世の中には「自殺とかする理由が全然分からない」みたいなタイプの人も勿論います。自分の人生を否定的に見つめるという経験をしたことが無い人なのだと思います。

人間はそれこそある種の悟りでも開かない限りは、誰かと自分を比較し、自分には無いものを見て、心を痛めます。あるいは欲しがります。隣の芝生は青く見えるものです。

・居づらい場所に居続ける意味はない

根本的な人間の本質は変わらないと申しました通り、自己肯定感の低さを根本から治すことは出来ません。出来ることは、いつか来るであろう落ち込む日に備え、普段から備えをすることなのです。

だから、そもそも予め自己肯定感が備わっている人間と一緒に居る事は、それだけで大きなダメージを受けるものなのです。であれば、そこと自分とは極力切り離した生活をする方が、精神の健康を保てます。自己肯定感の強い人と一緒に居ることは、ダメージを常に受け続けるようなものです。余裕のある時だけ一緒に居るくらいが良いのです。

・SNSとの距離感を

特にFacebookやTwitterなどで最近は人間関係の境界線が随分と希薄なものになりましたし、気軽に「演じること」も出来るようになりました。最近ではFacebookを利用することで幸福度が下がるという調査結果も出ています。なので自己肯定感の低い人は極力SNSから遠ざかることもまた、一つの手立てなのではないかと感じております。


■自己肯定感を養おう

 自分にもともと無いものを養うには、努力が必要です。あげてきたどれもこれも、一朝一夕で直ぐに解決するものではございません。「簡単に治るよ大丈夫だよ」なんて事が流布されているようでしたら、なんと無責任なことかと思います。それでも、めげずにやり続けて、形からでも自分で自分を大切に思えるようになっていくことができれば、少し人生が楽しくなっていくのだと、そう私は実感しています。

・優れたエッセイ

そうそう「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ 著:永田カビ」というエッセイ漫画は非常にこの自己肯定感を手に入れるまでの過程が上手く描かれています。長く苦しい痛々しい段階を乗り越え、ようやく自己肯定の一歩を踏み出した、そんな感じの漫画です。

作者の永田カビさんについては、このエッセイが仕上がるまでの第一段階、そしてそれがpixivに投稿し、それが爆発的な反響を生んだことにより、たしかな自己の肯定感を得られたのだと思います。

自己肯定感に悩める男女共に、共感出来る内容だと思います。是非。

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ
永田カビ
イースト・プレス
2016-06-30