コメントにて大事なテーマをいただいたので、一度「客観視」についてテーマを絞って考えてみようと思います。これは所謂「メタ認知」と呼ばれるもので、当ブログでもさらりと触れたこともあります。なので改めて掘り下げてみます。



■メタ認知とは何なのか

 メタ認知とは、高次の視点で自分を見つめること、と呼ばれています。つまり自分を客観視すること。

例えば漫画や映画などのコンテンツ媒体って、その作品の中にキャラクターが居て、私たちはその中の人物たちを客観的に見て感動したり怒ったり学んだりなんかもしますよね。

これは媒体の向こう側に居る存在を、神の目線から見ている、つまり客観視している状態になります。作品の中の人物に大してだったら例えば、この人は意外と意固地で融通が利かないなぁとか、ラーメンは嫌いな割にカップヌードルはいけるのかとか、数学が苦手なんだな、とか。

こうした神の目線、客観視というのは勿論他人に対しても行っています。他人の評価だったら大抵の人は下せます。さて、問題は自分に対しての客観視です。


■自分のこととなると途端に激しい先入観が入る

 さてさて、ここから本題。自分の客観視というのは、特に「自分に自信がない人」とか「自分が嫌いな人」とか、に当てはまります。実際にはこれ、既に「先入観」がガッツリ入っているのですよね。同時に自分大好き人間とかにも当てはまるかと。


■先入観によって、客観視がうまくいかなくなる

 例えば、自分に自信が無い人が客観視をすると、「自分はどうせこんなだから◯◯出来ない。出来ても大したことはない」と、事実を歪曲して自分自身に認識させます。先入観は、物事を歪曲させる、のです。

こうなってくると、例えば他人がどう自分を思っているかについても、「あの人は私の事気持ち悪いと思っているに違いない」とか「◯◯していることについて無駄だとか邪魔だとか思われているはず」とかになっていきます。

そして、これは逆もしかりでして。自信のある人・自分が好きな人も陥るものでもあります。「自分が好きだから」あれもこれも出来て当たり前だ、と地に足がつかなくなる。他人の目線についても「自分は周りから好かれている」とか「◯◯していても自分は許される」というような思い込みに。結局これも他人をないがしろにし「自分が自分が」だけになっています。

これでは客観視ではなく、自分が中心になった単なる思い込みでしかありません。先入観は「他人の気持ちをある程度考える、慮る」という部分も奪い、自分本位な他人像を作ってしまいます。これだとAさんのつもりで考えるのではなく、Aさんの事を考えるでなく、単に「自分のが自分を外からみたらこう思うに違いない」という妄想。そこに他人は存在していない。

こんな状態になると、自分ではそんなこと思っても居ないのに「君は随分自意識過剰だね」なんて言われてしまうことに。


■メタ認知が必要な理由

 上記のようなことから「メタ認知」は正しく自分を評価することにもつながりますし、同時に自分の中にしっかりと「自分」と「他人」を区別して考えることにだもつながります。
他人との境界の曖昧さや、自己評価が出来ずに生きづらさを抱える人は、まずメタ認知の修得が重要であると思います。


■自分の状態を知る

 自分はどういった家庭環境で育ったのか、どういった経済状態だったのか、どういった人たちと知り合ってきたのか。自分の思い込みの外から、自分の人生を客観視します。そして、それらをまとめ、そういった環境で育ってきた人は、どんな考え方になりやすいのだろうか、なども調べてみる。

私の場合は、自分の成長過程においての違和感について、生きづらさの答えみたいなものが書かれていたような気がした、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書) [新書]という本。

過去にもテーマとして扱っていたりします。

愛着障害を抱えたまま大人になるとどうなるのか 真面目にやっているはずなのに生きづらさを感じる原因を知る

■他人に評価してもらう

 メタ認知が苦手な人は、他人に自分の事を評価してもらうことが大事です。「他人の目に映る自分」というものを教えてもらう必要があります。

疑り深い人は、他人の評価をやたらと拒絶しますが、他人の目に映る自分を認識できないままではいつまでも自分の事を理解することは出来ません。

自分の目に映る世界が、自分にとって主体なように、他人から見えている世界もまた他人の主体であるのです。他人の主体的な世界に自分はどうやって映っているのか。これを教えてもらうことは、自分自身を評価する上で非常に大切なことです。

「自分の事は自分が一番よくわかってる」なんて言葉を耳にしますが、世の中は「自分」だけではないのです。その世の中で生きる以上は「他人から見た自分」というのは必須なのです。


■おわりに

 自分を客観視することは、世の中と自分とを円滑に繋ぐためにどうしたらいいのか。自分は世の中にとってどういった事ができるのか。などなどを、極力偏った視点を持たずに評価することです。

この目線を手に入れられれば、自分を変に持ち上げることも見下すこともしなくて良くなりますし、そうした偏見抜きに他人から見える自分というものを考えることも出来ます。他人の気持ちを100%理解することは難しいですが、極力偏見を省いて「この言葉を言われたら嫌だろうな」とか「嬉しいだろうな」とか諸々考える余裕が出てきます。どんな時も一歩引いた目線から状況を俯瞰で見れるように。

とはいえ自分以外全ての人がそんなことできているかといえば答えは当然NO。でも、客観視が出来ることは生きづらさを解消する一歩であると、実感しておりますので是非とも。