20160906


 誰かのために何かしようとすると、大抵うまくいかない。うまくいっても、先に続かない。「誰かのために」何かをしようとしてうまくいなかい人は、その本質に気づいていない人が結構居るような気がしますし、日本の文化はそこを巧みに隠してしまっているように思います。




■「誰かのために」の本質は「自分のため」

「人に喜んでもらいたい」
「人の手助けをしたい」
「人の困り事を解決したい」

こうした誰かのために、という行動は基本的には自分のためです。断言。自分が相手に好ましいリアクションを望んでいるだけです。自分が何か行動を起こすため大義名分を他人に求めているだけにすぎないわけです。


■理解していないと困った人になる

 他人のためはあくまで自分のため、これを理解している人は、分かっていて自分の原動力にしたいるするのでまだ可愛げはありますし、したたかだと思います。

問題は、世に流布される「誰かのため」を真に受けている状態の人。本質が自分のためであるのに、本気で「人のため」だと思い込んで(思い込まされて)いる人。


■「他人のため」が覆い隠す「見返りの要求」

 自分のためだと理解していな人が「他人のため」を思って行動すると、その他人がもし自分にとって好ましくないリアクションをした場合に、「こっちはこれだけやってやってるのに」という怒りを溜め込み始めます。

端から見たら大変迷惑な状態に陥ってしまう。ところが本人に自覚は無い。だって自分の行いは、自分のためじゃなく「他人が喜んでくれるはずだ」とい前提で成り立っているから。

周囲から理解されなくなってくると日に日に怒りは増し、やがて「見返りばかりを求める」状態になってしまいます。どうしうてここまでやってあげるのに。どうしてどうして。と。


■症状が悪化すると

 自分に気持ち良いリアクションを返してくれる人にはとことん依存しますし、好ましいリアクションを返さない人の事は徹底的に叩きます。また、依存している相手であったとしても、いずれその人も自分にとって満足のいくリアクションは返してくれなくなってきます。

すると、やがて自分の周囲には誰も居なくなります。好きになってもどうせ最後は嫌いになってしまうのだから、と人と触れ合う事が怖くなってしまったり「誰も信用出来ない」と世間から耳を塞ぐようになってしまいます。


■解決策

 解決策というほどでもないとは思いますが、結局のところは何度も話しているように「他人のため」というのは思い込みです。それらは全部、相手のリアクションを期待して、対価を求めているあくまで「自分のため」にすぎない。
また、他人のために考えたり行動したりしている自分に酔っている状態であるとも言えます。

自分の起こす行動はどう自分が考えようとも、根っこの部分にあるのはあくまで「自分のため」です。


■詐欺師や宗教家や政治家は「貴方のため」を頻発する

 このように、世に溢れている「誰かのため」なんてものはその発信者自身にとっての利益となることにすぎません。過ぎませんし、それらを理解し意図的に流布しています。「誰かのため」はうまく利用すれば説得材料にもなるわけです。だから、頻繁に「誰かのため」を口にする人には気をつけた方が良いと思います。

避けることも必要だし、利害が一致するからその口車に乗ってやるでもいいですし。でも繰り返し、「誰かのため」を発信する人についてはその言葉を額面通り受け取らない癖をつけるのが良いと思います。うわーひねくれてますね。


■モチベーション管理にも繋がる

 なんだか「人のため」を悪い側面のようにも語りましたが、自分自身を鼓舞させるためにあえて「誰かのため」を利用することも出来ます。実際多くの人が意識的にあるいは無意識的にやっていたり。


■まとめ

「誰かのために」はあくまで「自分のため」
そこに気づかないまま「誰かのため」を盲信すると、見返り要求の怪物になってしまいます。

でもモチベーション管理にも使えるし、一方で人を騙す事にも使えたりする。
勿論本気で誰かのために行動することは尊いことです。
だからこそ「誰かのため」という大義名分は、使い方次第では良い武器になるという側面を知っておくことが好ましいと思いますし、同時にそれは「自分のため」であることを理解しないと、うまくいかないし厄介な人になってしまうリスクもあるから気をつけたいところですね、という話でした。