連休明けに壮絶な悩みが押し寄せてくる時があります。それは「自分は何のために生きているのだろう」というもの。昔記事にしたことがあるのですが、その時よりも更に考えはまとまってきたと思うので改めまして。

ちなみに昔の記事はこちら


PR


■「生きる意味」系の記事での疑問

 この手の記事って、客観性を排除したポエムみたいなものが多いんですよね。「人は死ぬために生きているのだ」とか「本当の自分を知る、生命の真実を知る」とか。哲学に問いかけるのですが、それって割とレベル高いんですよ。

探求者として哲学者としての「何のために生きるのだろう」という考えと、生きるのが辛くて「何のために生きてるんだろう…」とは全然違う話なんですよね。で、私は後者の方をまず解決する事が大事だなと。


■「生きる意味」はまず大枠で2つ

「自分が求めて」と「誰かに求められて」

人はおおまかに分けてこの2種でまず「生きる意味」を見出します。
好奇心旺盛な子供時代は、主に「自分側」の欲求が強く、大人になっていくにつれてそのステージが「誰か」に向かいます。たとえば兄弟姉妹のため、親のため、友達のため、恋人のため、子供のため、組織のため。

それで、生きるのがしんどくなって内向きに「何のために生きてるんだろ…」という人は概ね「自分側」の欲求に問いかけてしまいがちなわけです。


■自分に向けた欲求の問いかけは、必ずドツボにはまる。

私がすんごい辛かった時にやってみた自問自答です。

何のために生きてるんだろ
好きなことするため
好きなことをする気力も無い
そもそも目の前のことが本当に好きなのかもわからない
本当に好きなものって何だ
もしかして無いのでは
じゃあ何のために生きてるんだ
死なないため 死にたくない、辛そうだから
死なないためならとりあえず最低限お金稼げばいいのでは
死なないために働くって何だその人生は…
何のために生きてるんだ…


はい。こんな感じで、そこにはただ虚無が漂う、みたいな結果になります。なんだこれ。


■他者を利用しよう

 言い方はアレですが、生きる意味が分からなくなって辛くなってきた時は「他者を利用すること」モノでもペットでもいいんですけど。他者に与える側になるのです。人へのハードルが高い時はペット。犬とか、貴方無しには生きれないモノを育てる環境を生活に取り入れるのです。

するととりあえず貴方はその「他者」のために生きることになります。依存的ですよね。でもそれでいいんです。


■他者への適度な依存は自分の生きる意味を探すうえで不可欠

 依存はあまりに度が過ぎると他者にとって大きな負担になりますからいけない。ストーカーとかヤバイ人になってしまう。でも自分が何かを見つけるまでの依代と考える事も大切です。

でも自分の心が弱っているのに、無理に自分に発破をかけようってこと自体が間違っているわけです。貴方の心がまず元気にならないとどうしようもないのです。


■そもそも「何のために生きているのか」に、その精神状態で答えは出せない

 弱ってる時、心に余裕が無い時に出す答えなんてロクなものじゃないですよ。そこを無理に「何のために生きているか知りたい」なんて探求しようとしたって、間違いなく向かうのは「死」がどうのこうのの話になります。

現時点で答えを出そうとすること自体が、間違いであると言えます。心が元気になってから改めて「私はなんのために生きるのか」という問いかけに真剣に向き合って見るのが良いと思います。


■おまけ:元気な時に読む、何のために生きているのか

 極論、日本国にとっては人一人が生きる意味は人口や税金等々のため。つまり日本国の経済のために生きています。政治家にとっては一票のため。

親にとっては、元気であること事態に意味がある人も居れば、将来介護してくれるためであったり、自分の跡継ぎのためだったり、子が居る事自体や、子を社会に送り出す事が親の生きる意味になっていたり。

知人や会社の人にとっては、大家にとっては、お店にとっては、等々。キリが無いですが、自分が生きている意味っていうのは案外見えてないところにあったりします。

ここに更に感情論が上乗せされていくわけです。


■結論:生きる意味は作るもの

 元気がない時、元気の無さを自覚したらまず「何のために生きているんだろう」は考えるの辞めましょう。それは一時的にものすごく盲目になっているか、本当に内的にも外的にも生きる意味が一旦消えてしまっている時です。そんな時に考えてもしょうがない。

ここまでの考えを総括すると、個人個人が生きる意味というのは、個人個人が勝手に作るものであるわけです。はい。

というわけで今すぐその「生きる意味」検索の旅はそっと終えて、まずは元気な心を作る所から。

特に私みたいに友達が居ないし、かといって頼る人も居ないし誰かに迷惑かけるのも嫌だし、という人にはホントに生き物や植物などを育てる系は良いです。

心が元気になってから前向きに「自分が生きる意味」を改めて作っていきましょう。