私が本気で勉強しようと思ったのは、なんと20代後半から。きっかけは「自分はどこまで無知で馬鹿で世間知らずなんだろう」と気づいてから。

気づいてから、勉強してみて、勉強ってこんなにも大切なことだったのか、と噛み締めている最中です。

その大切なことに気づくまでに随分と時間を浪費してしまいました。

なので、「勉強はいいぞ」と私がもし過去の自分に伝えられるなら、こんな感じの事を伝えるかなぁという気持ちをまとめました。

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■勉強で世の中の構造を知る

 勉強するほどに、日々自分の周囲に起こっていること、世の中に飛び交うニュース、周囲にある雑貨等々、自分の目に映るものが「不思議」ではなく「構造・仕組み」に見えてきます。

そして、世の中の仕組みは自分一人では制御できないけど、構造がわかっていれば「予想」が出来るぞ。「予想」が出来ると、対処を考えられる。でも、勉強をせずに「不思議」を不思議のままにしておくと、世の中に振り回されてしまいます。


■勉強で選択肢が広がる

 勉強すると、自分のやれる事が増えていきます。でも最初はそれらは点でしかありません。ところがその点を増やすことで、いつの間にかそれらを結びつけて自分だけの図形を作り上げられます。点が増えれば増えるほど、面白い図形になって、自分が社会にとって特別な存在になります。

特別な存在になるというということは、自分が沢山の人の興味や必要性の対象になる確率をあげるということです。

徒手空拳のままでは「若さ」や「体力」や「行動力」くらいしか無く、それでは選択肢は広がりません。そしてそれらは多くの人が持っているものですし、年老いてしまえば、それらも失われます。でも、勉強すれば、自分の出来る範囲が増え、それを求める人や場も増えていきます。


■勉強で人を知る

 勉強することは、他人を理解するということにもつながります。例えば文学に触れれば他人の気持ちを想像したり共感する力、また情景を理解するなどの力がつきます。児童心理学の方面であればその人の成長過程などを知ることで今の性格や立ち振舞等に合点がいったり。経済を知れば、その業態の人たちの様子なども想像できたりも。


■勉強で自分を知る

 何より、勉強とは自分を知ることだと思います。私という人間は何なのか。どうして私はこうした人間であるのか。メタ認知を行い、「自分を上手く扱う」ことについて意識が出来るように。

ここに気づくまで、私は私を制御できませんでした。悲しみのままに悲しみ、怒りのままに怒り、楽しみのままに楽しみ。自分が何故その時そのことに対してそうした感情を抱くのかの理由も学ばないまま、答えを自分の中に見つけて。

でも、本当の自分を知るには結局のところ、勉強をするしかないのだ、と思いました。


■勉強で不幸を回避する

 これまで述べたことを総括すると、勉強とは何かが起こる前に数々の対処法を学んでおいて、しっかりと受け身をとる事なのだと思います。「不思議」や「予想だにしないこと」を極力自分の認識から排除するのです。

そうしなければいずれ「不思議」や「わからないもの」に怯え、拒否したり、しまいには攻撃したりするようになっていきます。人生の全ての歩みが博打に思えてしまいます。


■勉強は自分の未来を作る

 同時に、勉強は少し先の自分を形作っていくものだと思います。漫然とした勉強であっても、それの点はいつか結びつくのです。勉強とはいつかは分からないけども確実に今この時以降の自分に対しての未来を作る行為なのだと思います。


■勉強はいいぞ

 そんなわけで、勉強って素晴らしい。私は20代後半でやっと「勉強の楽しさ」の入り口に入りました。そして、遅いも早いも無くて「気づいた時からスタート」何だということが分かりました。勉強は楽しいです。

タイトルの「何故勉強するのか」については「世の中をもっと楽しく生きるため」なんだと思います。

同時に机に向かう勉強だけではなく、学ぶ姿勢さえ整えばどんなことからだって勉強は可能なのだとも。

何でもいいから、少しでも好きだとか楽しくて興味のあることは勉強してみると良いなぁと思う今日このごろでございました。