20160721


 私の身近にも居るのですが「調べるのが苦手」な人が居ます。何かにつけて疑い不安になるのですが、調べないからただただ不安を増幅させていっています。

他方で、調べることは好きだけど、調べた事を鵜呑みにしてネガティブな情報などに流され不安になってしまう人も居ます。

でも、「調べる癖」と「疑う癖」を両方兼ね備えていると、色んな不安が解消されていくように感じてます。


■調べ癖が仇になるパターン

 例えば商売として、不安な情報をばらまく事により、巧みに解決策(のように思えるビジネス)に誘い込むような手段があります。人の好奇心を利用した商売で、意外にしっかり勉強しているつもりの人がハマってしまったりも。

勉強は調べる事でもありますが、その知識を活かし分析することも大切なわけでして。調べるのが好きな人の一部にはこの分析が抜けてしまう人も。

また、単純に調べ続ける道順のせいでネガティブな情報ばかりが集まってしまい、不安や焦りに取り込まれてしまうようなことも…。いずれにせよ、単なる調べ癖、だけだと情報を持て余す事があります。



■疑い癖が仇になるパターン

 何事も慎重であることは大切であると思います。自分の理解に至らないことについて足踏みをし警戒する力は生きていく上で不可欠と思います。これはいわば動物的本能に近いものかもしれません。

ただ、十分なリサーチをしない疑い癖は、無闇に対象を脳内で不可解なものに仕立てあげて、過剰に恐れる対象にしてしまったり、心のゆとりを奪ってしまったりなど…。



■人の不安は常に「正体不明の相手に対する恐怖」であります

 究極的にどんな人でも大抵怖くて不安なのが「死ぬこと」です。誰も死んだ後の事を知らないし、死ぬ痛み、死んだ時の気持ち、などなどさっぱり分からないからです。分からないからとにかく怖い。

人間が真っ暗な夜の山道などに恐れを抱くのも、何が出てくるか分からないから。見えないから、余地出来ない何かがやってくるから、怖い。

人間はとにかく本能的に「分からないこと」が怖いのです。





■調べ癖と疑い癖、両方兼ね備える事が大事

 納得いかないこと、不安なこと、そこに確かな疑いをもって、調べる。調べた情報も「これホント?」と疑ってかかって更に潜り込む。これを繰り返すことで正体不明の「何か」がはっきりと具体性をもって形作られていきます。

心の悩みも、将来の悩みも、色んな悩みを調べ、疑い、また調べ、疑い。それが練磨されることによって優れた洞察力を持つ人になれるのだと思います。その洞察する力が、心に安寧をもたらすのだと、最近感じております。