昨日から今日にかけTwitterで、以前書いた「センスの磨き方 凡人はどうしていけばいいのか」という記事が拡散されていたようだったので、あれから2年ほど経った今、この命題についてもう少ししっかりと掘り下げていこうと思いました。




■そもそもセンスが良いということは何なのか

 センスというやつはいわゆる才能で予め備わっている、という認識が強いように思います。

私も昔は自分のセンスの無さを棚に上げて、才能のある人は羨ましいですなぁ、と思ってました。卑屈になっていました。ところが様々センスのある人と出会ってきて「本当にそうかなぁ?」と疑問を抱くようになったのでした。。

先に答えを書くのですが、センスとは「発見」であり、センスを磨くということはつまり「発見する力をつける」なのだと思います。


■ガウディは言いました

 世の中に新しい創造などない、あるのはただ発見である

創作に関わる業種に関わっており、センスという言葉に踊らされていた自分は、自分自身のセンスの無さから、センスというものを何か得体の知れない不思議なものだと思っていました。

そうして色んな道に迷い込みながらある日、この考え方に行き着きました。先人たちがとっくにこの考えに行き着いていることも知りました。


■アイデアは既存のセンス同志の結合である

 みんなだいすきイノベーションは「新結合」と言われてます。言わずもながらスマホは、電話とパソコンの結合により生まれました。その昔、ウルティマとウィザードリィが元素になり、そこに鳥山明先生の絵が結合したことで初代ドラゴンクエストが誕生しました。


■センスを磨こう

 というわけで少し話題がそれてしまいましたが。センスを磨くというのはつまり発見の力をつけるという事。でもそもそも発見て何なんだ、それが何故センスに繋がるのだという部分から少しお話をば。


■センス磨きは模倣から始まる

 全ての創作はまず、オリジンとなる被写体があって、それを模倣することから発生します。絵・歌・文章・踊り・仕事…等々。 自分の中にストックが空っぽな事柄についてはまず指標となるものが求められるのです。

センスを磨く、発見するというのはここが第一歩になります。第一歩になると同時に、終着点であるとも言えます。


■センスを発見する

 模倣は、発見であり、自分の中に、その要素を取り入れる作業になります。見ることも模倣だったりします。極論なのですが、センスの良い物を見てきた数が、そのままその人のセンスとして反映されると言っても過言ではないと思います。


■センスの良し悪しとは何なのか

 最近プラントハンターの西畠清順さんという人が気になって、その人の実績や考えなどを調べていました。調べている中で彼は「植物ほど完成されたものはない」というようなことを語っています。植物の進化は全てが必然であり、その存在全てがその植物にとって意味がある状態なのだ、と。

私程度の視点からのではありますが、センスの良し悪しって実際のところどんな表現であっても「見る側にとって必然性が備わった状態」なのかなと思ってます。だからセンスの悪いものというのは「そこに存在する意味が無い絵だったりデザインだったり音程だったり演出だったりが存在することで、受け取る側が理解出来ないものになっているもの」なのではないかと思っています。

子どものオモチャひとつとったって、その機能や配色が子どもの事を徹底的に考えぬいた結果生まれた存在であるなら、大人から見てもセンスの良いものに移ります。


■自分の相性とセンス

 さて取り入れるにせよ、自分が今まで知らず知らずのうちに磨いてきたセンスというものもあります。それは千差万別、十人十色のものなのであまり言及のしようもないものではあるのですが。

コレに関しては自分の今までを一度振り返ってみて、自分は何について沢山触れてきてどんなものに詳しくて、どんな能力があって、だからこのセンスを今後引き延ばすために何が必要で…みたいなのを考える必要があると思います。

なにせそこを振り返らないと、自分が何者であるかを知らないと、その自分の知らない自分がセンスの発見を妨げてしまう可能性がございますので。

センスの良い人というのはすべからく自分が何者であるかを知り、時分の強みも弱点も把握しているように感じます。


■タランティーノという監督

 代表作といえばパルプフィクションや、レザボア・ドッグスなど。監督の逸話で有名なのが、レンタルビデオ店でとにかく映画を見まくっていた時期があったというもの。その時期に監督は、古今東西のあらゆる映画表現のセンスを取り入れ、後の創作活動に活用したのですね。


またエヴァでお馴染みの庵野監督も、学生時代に特撮が大好きで大好きでウルトラマンの続編自分で作っちゃったりとかで、そんな庵野監督の特撮にかける意気込みがエヴァに結びついてたりも。(エヴァのカラータイマーとか身長の設定とか、戦闘シーンなんかはウルトラマンからの影響が強いとされてます)


■センスを発見する上で気をつけたい、盗作(パクリ)と敬意(オマージュ)

 去年、オリンピックロゴが海外のデザイナーのパクりであるとして、デザイナーの佐野氏が言及され、仕切り直しになるような騒動がありました。

実際当人に聞けるわけではありませんから、佐野氏の真意はわかりません。ただ世間には彼のデザインは「盗作」として印象付けられてしまいました。

その他にも過去に盗作絡みの事件は大なり小なり各所で起きています。

模倣とは自分の中に何かを取り入れる所作でございますが、単に真似して発表するのでしたらそれはただの盗用。とはいえ、これは今のところ「上手に調理したらオマージュとみなされ、下手な真似は盗用に見られる」傾向が強いだけな気が致します。

誤解を恐れずに言えば、パクりとオマージュというものの境界はひどくあやふやなものだと感じます。だからコレに関しては、世の中の感情を理解する、どちらかといえばコミュニケーション能力の方の力も必要なのではないかと思います。


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■センスを磨くには、沢山の発見を続けよう そして模倣を続けよう

 その昔、ニュートンは先人の積み上げた発見があったからこそ自分が何かを成すことがデ出来、それを「巨人の肩にのる」というような表現をしたとされます。だからセンスというのは先人の知恵を学び発見するものであると解釈します。

同時に、個人個人が送ってきた人生の中で、その個人にしか生み出せないセンスというものも存在します。

それらを掛けあわせれば、それは新たなセンスとなるのだと思います。


最後に、そんなセンスの掛けあわせについての小話。
福満しげゆきという漫画家さんが好きで、色々な作品を読んでいるのですが「中2の男子と第6感」という漫画内で印象深いやりとりがあります。うろ覚えなので私の装飾は入ってると思いますが。

物語の概要ですが、主人公は中2でひきこもりなのですが、自分の空想の女子が具現化させ、家で日々しょーもないやりとりをする、という内容。で、その印象深いやりとりというのが「新人漫画賞に応募してみよう」と四苦八苦する主人公。そんな彼に空想の女子がアドバイスします。「人気のある上手い作家の真似をしなさい、だれも貴方のオリジナルなんて興味無いわよ」と。主人公は困惑します「え、だってそれじゃあタダのパクリだよ!」と。彼女はこう言います

「どうせ貴方絵が下手くそなんだから、真似したって貴方の絵にしかならないわよ」と。





アイデアのつくり方
ジェームス W.ヤング
CCCメディアハウス
1988-04-08