このブログは3年以上書いてますが、私がネットに記事らしい記事を投下しだしたのはかれこれ10年以上前から。そういう意味ではすっかりネット老害な気がします。そんなわけでネットの変化もずっと肌身で感じていてきていますと同時に、私の影響でブログを書くようになったというありがたいお言葉を頂いたりも。

私が10年以上ネットに文章を残す上で常に気にかけていること、また界隈の変化について思うことなどについて少しまとめようかと筆をとるに至りました。書いてることは今さらなことばかりだと思いますが。


■日記の代わりにブログを残そうとする人へ

 私はよく、自分を省みるために自分の状態を書き起こして、客観視出来るようにすることをオススメしております。いわゆるマインドログというやつです。しかし私の伝え方が悪いせいだとは思いますが、そこはやらないほうがいいのになーと思うような事を書いている人が時々見受けられます。

私はネットに発信する上で常に気にかけているのは以下のとおりでして。
・他人を傷つけるような発言をしない
・他人を傷つけそうになる場合は自分も傷つける
・自分が感じてる不快な感情をそのまま言語にしない
・とにかく不快感の排除に勤める

簡単に、このような感じです。とはいえ自分もそんなに出来ているわけではないと思いますが。この辺のバランス感覚が最近特に凄いなといつも思うのは、オモコロのヨッピーさんとか、フミコフミオさんなどです。もう本当に面白いこの人たち。また、当然逆を上げることも出来ますが、それらはあまり発信するものではないと思うので控えます。全体的に攻撃的な事を言って衆目を浴びるタイプの人は苦手です、とだけ書きます。


■配慮の理由

 私は基本的に「大きくは目立ちたくないけど、注目はされたいな」という変なバランスを持ってます。基本的に「自分の記事を読んだことで誰かにとって何か良いきっかけを生めたらいいな。そういう人生なら少しは自分の存在意義もありそうだな」というように思えるから、だと思います。おせっかいなのです。でも繰り返し、大きく目立ちたくはないのです。

笑ってもらえたらいいなという感覚もあるのですが、私は人を笑わせる才能面はあまり培ってこなかったですしそれは文体にもすぐににじみ出てきてしまうから、無理に笑わせにかかろうとするのはやめようと思ってます。

私の根底は、配慮の理由は要するに「誰かのためになりたい自分。誰かを喜ばせたい自分」があります。でも同時に「極力不愉快になる人を減らしたい」という思いがあります。先述した攻撃的な人たちもきっと「これを見た誰かが楽しんでくれるだろう」って気持ちがある上での発信なのだと思います。そう信じてます。ただ私の肌には合わない。攻撃的な文章は嬉しい人と不快な人との熱量の差が結構起こりやすいなと感じてますので。


■自分の不快感を残すことにあまり意味はないと感じている次第

 例えば私の日記を見て、よし自分の事を書き記すぞと筆をとって「つらい・くるしい・自分はダメな奴だ」と発信するような人を見受けたりします。別にそれを残すこと自体をダメとは思いませんが、ブログという場には起こさないほうが良いのになと思うのです。

それを残しておくことによって、もしかしたら誰かを暗い気持ちにしてしまったかもしれないと思うのですが、そのブログ全体を覆う空気を暗く重い雰囲気にしてしまうという効果の方が大きいと感じます。その重苦しい空気は、何よりも結局次回筆をとる自分に跳ね返ってきてしまうのです。

だからつらい気持ちとかを発信したいなら愚痴吐き系の掲示板に行ったりする。手元の紙にでも書く。そして自分と向き合う・発信するブログについては、もっと明日の自分のために、見てくれるかもしれない誰かのためを思って発信したほうが巡り巡って自分も周りも幸せなんじゃないかなと思うのです。

とはいえこれはあくまで私のバランスではありますが。。。


■ネットは公衆の面前になっている

 私が知るそれこそ00年代インターネットって、SNSもTwitterもmixiもFBも何も無かったのでした。あくまで当時の私の観測ですが、辛うじてあったネットの人たちの集まりといえば、プレイ中のゲームの攻略サイトなどでの雑談板、ネットゲームの交流掲示板、お絵かき掲示板での交流、個人サイトや個人日記での掲示板交流、2chでの交流などでした。

ネットの接続人口自体も少なかったですから、例えばAという趣味の交流におけるやりとりと、Bという趣味の交流におけるやりとりには、一切の接点がありませんでした。それぞれの島々で文化が完結していた感じです。その島々ではそれぞれに楽しいことからえげつないことまで行われていた感じで、ザ・アングラでした。

そして現在といえば、そうした島々はほとんど全てがSNS等を通してすぐに結びつくようになりました。ネットの接続人口も爆増しました。アイスケースに入れば非難の嵐が飛び交いすぐさま個人は特定され、私刑が早々に成立。勿論島々は変わらず存在していますが、その島々での行いはふとした瞬間に衆目の前にさらされるようになりました。世界中が結びついてしまったのでアングラでは無くなってしまったわけです。

本当にザックリとではありますが、これが今のネット感。ブログで何かを発信するというのは、小さな島で何かを発信してそこで終わってしまうという状態ではなくなってしまったのです。それはつまりネットでの発信は公衆の面前で何かを発信するということに変化したということなのです。

(余談:この公衆の面前化と、ゆるく閉じたネット上のプライベート空間、slackというサービスの相性は抜群だったのだと思います)

 


■最終的な着地点として

私は発信者としては「自分がダメージ受けて、周りが少し特した気になる」くらいが丁度良いんじゃないかなと思いながら書いてます。逆に自分が特して周りが損するバランスは一番やっちゃいけないんだと思います。それは結局人間関係でだって同じだと思います。

ネットが公衆の面前になってしまった以上、ネットでの発信は結局リアルでのコミュニケーションの延長に過ぎないと思いますから、そういう意味でブログを書き続けるというのは結構難しいんじゃないかなと最近ふと思ったりしました。

でもそんな難しい中でもバランスを保って発信意識していければそれは結局リアルの生活にも役立つのではないか、と前向きに思ったりするのでした。

そんなわけでブログ書くことは楽しいです。もっともっと、誰かの役に立つような、ついでに言えば面白い、楽しい気持ち、前向き持ちになれる、ような記事を書けるようになれたらなと思います。



なんて偉そうなこと書いておきながら数年前はネガティブな事ばかり発信したり、上から目線の記事ばかり書いたりしてたのでした。結局過去の自分を一番に殴りつける形になるのでした。